翻訳と辞書
Words near each other
・ ロープ精練
・ ローベルト
・ ローベルト (オーストリア=エステ大公)
・ ローベルト・オレイニク
・ ローベルト・カジミール
・ ローベルト・ゲルンハルト
・ ローベルト・コッホ
・ ローベルト・シューマン
・ ローベルト・ハース
・ ローベルト・バルトコ
ローベルト・バーラーニ
・ ローベルト・フェルスター
・ ローベルト・フェルステマン
・ ローベルト・フォルクマン
・ ローベルト・フォン・エスターライヒ=エステ
・ ローベルト・フォン・グライム
・ ローベルト・フォン・モール
・ ローベルト・フォン・ヴュルテンベルク
・ ローベルト・フックス
・ ローベルト・フランツ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ローベルト・バーラーニ : ミニ英和和英辞書
ローベルト・バーラーニ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ローベルト・バーラーニ : ウィキペディア日本語版
ローベルト・バーラーニ[ちょうおん]



ローベルト・バーラーニ(Robert Bárány、1876年4月22日-1936年4月8日)はオーストリア耳鼻科1914年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
== 生涯 ==
オーストリアウィーンに生まれる。ウィーン大学で耳鼻咽喉学を学び、1900年に卒業後、フランクフルト・アム・マイン市立病院内科に勤務する。同時にハイデルベルクで精神病学と神経学を修める。いったん内科医としての勤務を中断し、フライブルク大学精神病教室に所属し、クレペリンの助手を務める。1902年にはウィーン総合病院で今度は外科医としての訓練を積む。1903年にはウィーン大学医学部外科学教室に就く。1905年には本来の耳鼻科に戻り、耳鼻科教室に入り、耳鼻科学の創始者と呼ばれたH・デヴィッド・ポリッツアーの助手となる。1909年耳鼻咽喉科講師、1914年、講師のままノーベル生理学医学賞を受賞した。その年に始まった第一次世界大戦には軍医として従軍、ロシア軍の捕虜となる。しかしながら、病に倒れたため釈放され、大戦が続くなか、1917年にはスウェーデン中部にあるウプサラ大学耳鼻咽喉科の講師となった。1924年、同国政府から名誉博士号を受ける。1927年同大学で教授に就任した。1936年、同国で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローベルト・バーラーニ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.