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ローベルト・フォルクマン : ミニ英和和英辞書
ローベルト・フォルクマン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ローベルト・フォルクマン : ウィキペディア日本語版
ローベルト・フォルクマン[ちょうおん]

フリードリヒ・ローベルト・フォルクマン(Friedrich Robert Volkmann, 1815年4月6日 - 1883年10月30日)は、ドイツロマン派作曲家ザクセン王国出身。
== 略歴 ==
カントルの父親から、後継者となるべく音楽の手ほどきを受ける。このため父親についてオルガンピアノを学び始め、さらにヴァイオリンチェロにも手を伸ばし、12歳になるまでに、ウィーン古典派弦楽四重奏曲でチェロ・パートを演奏するまでになる。1832年フライベルクギムナジウムに進学するかたわら、音楽をアナカーに、1836年にはライプツィヒでベッカーに師事した。ライプツィヒでシューマンに出逢って激励を受け、その後も両者は何度か再会している。
学業を了えるとプラハの音楽学校で声楽教師として務めるが、同地に長居することなく、1841年にはブダペストに移り、ピアノ教師や、「ウィーン音楽新報」紙通信員に雇われる。1852年には無名ながらも大量に作曲を続ける。《ピアノ三重奏曲 変ロ長調》 はフランツ・リストハンス・フォン・ビューローを魅了し、両者によってヨーロッパ各地でさかんに演奏された。1854年ウィーンに進出するが、1858年にブダペストに戻る結果に終わった。
出版社グスタフ・ヘッケナストが1857年にフォルクマンの全作品を買い上げ、売り上げと関係なく定収入をもたらしてくれたおかげで、完全に作曲活動に没頭できるようになる。しかしながら1870年代初頭に、ヘッケナストのブダペストの印刷所は閉鎖されてしまう。
1864年、ウィーン訪問中にフォルクマンは、18歳若いヨハネス・ブラームスと面会して親交を結ぶ。両者は書簡において、互いに 「親しき友よ(''lieber Freund'' )」 と呼び交わしている。
1870年代は生涯における下り坂となり、作曲活動が下火を迎える。1875年から没年まで、リストが院長を務めるブダペスト王立音楽アカデミーで和声法対位法の教授に就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローベルト・フォルクマン」の詳細全文を読む




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