|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ローペ・ラトヴァラ (Roope Latvala、1970年6月25日 - )は、フィンランドのヘヴィメタルミュージシャン。主にギタリストとして活動している。1作品のみであるが音楽プロデューサーとしての活動もある。過去に、チルドレン・オブ・ボドムやシナジー、ワルタリなどで活動していた。 == 略歴・人物 == フィンランドの首都、ヘルシンキで生まれる。母親がギターを弾くため、家にはギターがあった〔チルドレン・オブ・ボドム『Chaos Ridden Years』ドキュメンタリーより〕。14歳の時、ジャズプレイヤーに音楽のレッスンを初めて受け、その後クラシックの学校に入学する。1985年、スラッシュメタルバンド、ストーンを結成。ギタリストとしての活動を開始する。その後、1988年に1stアルバム『Stone』でデビューを果たす。デビュー当初は、かなり順調でテスタメントと同じステージにも立ったことがある〔。計4枚のアルバムをリリースして、ストーンは1991年に解散している。また、Dementiaにも参加。同バンドには、後にHIMで活動する、ガス・リップスティックがギター兼ボーカルとして参加していた〔。 1994年には、ラトヴァラ・ブロス名義でソロアルバム『Latvala Bros Plays Wooden Eye』をリリースしている。同アルバムでは、ギターに加えてベースも担当した。また、同アルバムには兄弟であるユッシ・ラトヴァラがドラマーとして参加していた。1995年には、サミ・ウリ=シルニオの後任ギタリストとしてワルタリに加入。2001年まで活動した。ローペ脱退後、サミがワルタリに復帰している。1999年には、イェスパー・ストロムブラードの後任としてシナジーに加入。ここで、アレキシ・ライホと出会う。シナジーでは、『To Hell and Back』(2000年)と『Suicide by My Side』(2002年)の2枚のフルアルバムに参加している。 2003年に、アレクザンダー・クオファラが脱退したチルドレン・オブ・ボドムにセッションギタリストとして加入。加入は、ローペから参加の話が持ちかけられたことがきっかけであった〔。モスクワで、チルドレン・オブ・ボドムのギタリストとして初めてのステージに立った。セッションとして加入してから1年ほどが経過した2004年にチルドレン・オブ・ボドムに正式に加入。正式加入の話がまだ出ていなかった時期のことを振り返って、ローペは「そろそろこのバンドから離れて才能のない若い奴にこの場所を譲るべきか」〔と考えていたという。当初、アレキシは「2つのバンド(チルドレン・オブ・ボドムとシナジー)でギタリストが同じ」ということに疑問を持っていたことを話していたが、ミュージシャンとしてだけでなく人間的な面でもバンドに合っているということで正式加入に至った。 以降、チルドレン・オブ・ボドムのリズムギタリストとして活動するが、2015年5月にバンドを脱退。 チルドレン・オブ・ボドム加入後は、アレキシやヘンカ・ブラックスミスと共にESPのシグネイチャーモデルを使用している。チルドレン・オブ・ボドム加入前は、主にジャクソンのRandy Rhoads (Randy V)を使用していた〔。また、この他にESPのストラトキャスターやB.C.リッチのWarlock、高崎晃のミニチュアモデルを所持している〔。 一時期、シャーマン(コルピクラーニの前身)にライヴギタリストとして参加し、1999年にリリースされた1stアルバム『Idja』では、音楽プロデューサーを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローペ・ラトヴァラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|