|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ ビー : [びー] (n) bee, (n) bee
デルビー・デッラ・カピターレ(Derby della Capitale)は、イタリア・ローマに本拠地を置くASローマとSSラツィオの間で行われるサッカーの試合のことである。デルビー・カピトリーノ(Derby Capitolino)またはデルビー・デル・クポローネ(Derby del Cupolone)とも呼ばれ、英語ではローマ・ダービー(Rome Derby)と表される。イタリアにおける四大ダービー(他はミラノ・ダービー、トリノ・ダービー(Derby della Mole)、ジェノバ・ダービー(Derby della Lanterna))のひとつであるが〔「欧州と南米を熱狂させるダービー ITALY SERIE A」 footballista、ソルメディア、13頁、2010年10月8日号〕、ミラノ・ダービーやトリノ・ダービーを凌ぎ、イタリアで最も激しいローカル・ダービーである〔。地元ではこのダービーが「試合以上の存在」と言われる。 == 概要 == 両クラブはともにスタディオ・オリンピコを本拠地としている。歴史的にはサポーター集団による暴動や暴力、近年では人種差別的な横断幕などで特徴づけられるダービーである。特にふたつの過激な事件がこの対戦の歴史を物語っている。1979年にASローマの本拠地で行われたダービーでは、ASローマサポーターによって撃たれた船舶用の信号弾がSSラツィオのサポーターの目に直撃し、イタリアサッカーにおいて暴力行為が原因で初の死者が発生した。2004年のダービーでは、警官によって子どもが殺害されたという誤った噂がASローマサポーターの間に流れ、ASローマのウルトラスはグラウンド上に侵入して試合を中断させようとした。 両クラブのサポーターはユヴェントスFC、ACミラン、インテルなど北イタリアのビッグクラブの尊大さを嫌悪しているが、それよりも近くの敵への憎悪のほうが強いことは明らかである。両クラブともに北イタリア3クラブよりも獲得したトロフィーの数が少ないことからも、このダービーはどちらが首都の覇権を握っているのか証明するチャンスであると言える。 SSラツィオはプラティ地区近隣に設立され、当初はロンディネーラ・グラウンドで練習や試合を行っていた。ASローマはMotovelodromo Appioで試合を行っていたが、わずか2年後に新スタジアムが建設されてテスタッチョ地区に移った。スタディオ・オリンピコで試合を行う際、SSラツィオのウルトラスは伝統的にスタジアムの北側の一角(Curva Nord)を占め、ASローマのウルトラスは南側の一角(Curva Sud)を占める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デルビー・デッラ・カピターレ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Derby della Capitale 」があります。 スポンサード リンク
|