翻訳と辞書
Words near each other
・ ローラン・グバグボ
・ ローラン・グーヴィオン=サン=シール
・ ローラン・コシエルニ
・ ローラン・コシエルニー
・ ローラン・コシールニー
・ ローラン・サガール
・ ローラン・シマン
・ ローラン・シュワルツ
・ ローラン・シュヴァルツ
・ ローラン・ジェルメッティ
ローラン・ジャラベール
・ ローラン・ティラール
・ ローラン・テシュネ
・ ローラン・ディアンス
・ ローラン・ディエンス
・ ローラン・ディディエ
・ ローラン・デュプイー
・ ローラン・デュマ
・ ローラン・トベル
・ ローラン・ヌクンダ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ローラン・ジャラベール : ミニ英和和英辞書
ローラン・ジャラベール[らん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ローラン・ジャラベール : ウィキペディア日本語版
ローラン・ジャラベール[らん]

ローラン・ジャラベールLaurent Jalabert1968年11月30日- )はフランスタルヌ県マザメ出身の元自転車競技選手。グランツールの総合優勝は1995年ブエルタ・ア・エスパーニャだけだが、偉業ともいうべき記録を保持する名選手であり、他の選手やファンからは「ジャジャ(JAJA)」「パンダ」の愛称で親しまれた。
==経歴==

===偉業達成===
レースキャリアとしては、1989年にトウシバ・チームに入り、3年目のシーズンには同チームのエースとして君臨した。しかし、出身地のタルヌ県はラグビーの盛んな土地柄であり、地元ではこの当時の活躍はほとんど注目を集めていなかったという。1992年スペインのオンセへと移籍し、長らくそこでエースとして活躍を続けた。2001年からはCSC-Tiscali(現チーム・サクソバンク)へ移籍し2年連続山岳賞に輝き、2002年に引退。
上述した1995年のブエルタでは区間5勝を挙げ、第3ステージから総合トップに立ってそのまま総合優勝を果たしたばかりか、ポイント賞、山岳賞も併せて制するという『三冠王』に輝いた。ちなみにグランツールにおける同一年度『三冠王』は、エディ・メルクス1968年ジロ・デ・イタリア1969年ツール・ド・フランストニー・ロミンゲル1993年のブエルタで達成しており、史上3人目の快挙であった。さらに、史上3人しかいない全グランツールポイント賞受賞も達成しており、グランツールにおけるポイント賞、山岳賞の受賞回数は通算10回にも及ぶ。なお、彼が制覇した1995年のブエルタ以降、2012年現在までフランス人選手でグランツールを制した選手は出ていない(地元ツール・ド・フランスでは1985年ベルナール・イノーが最後である)。
弟のニコラ・ジャラベールも自転車ロード選手である。エースで活躍した兄とは異なりアシスト中心ではあるがオンセ、CSC時代は兄と同じチームに所属し、その後フォナックを経て現在はアグリチュベルチームで活躍している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローラン・ジャラベール」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.