翻訳と辞書
Words near each other
・ ローラン・バグボ
・ ローラン・バボ
・ ローラン・パキヒヴァタウ
・ ローラン・ビネ
・ ローラン・ファビウス
・ ローラン・フィニョン
・ ローラン・ブラン
・ ローラン・ブロシャール
・ ローラン・ブーデュアニ
・ ローラン・ブードゥアニ
ローラン・プティ
・ ローラン・プティジラール
・ ローラン・ボック
・ ローラン・ボナール
・ ローラン・ラフォルグ
・ ローラン・リュキエ
・ ローラン・ルセイ
・ ローラン・ロベール
・ ローラン・ンクンダ
・ ローラン・ンクンダバトゥワレ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ローラン・プティ : ミニ英和和英辞書
ローラン・プティ[らん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ローラン・プティ : ウィキペディア日本語版
ローラン・プティ[らん]

ローラン・プティ(Roland Petit, 1924年1月13日 - 2011年7月10日) は、フランスバレエダンサー振付家ヴィルモンブル生まれ。
母はミラノ出身でビストロ経営者のローズ・レペット。(息子の勧めで1947年にバレエシューズの工房を設立。バレエ用品メーカー、レペットの創業者である。)
==プロフィール==
パリ・オペラ座付属学校に入学し、1940年にオペラ座に入団。在団中から振付を始め注目を浴びる。プティは好きだったアメリカの映画やジャズ、ミュージックホールのレビュー的要素を振付に取り込むようになり、それが彼の評判を高めた〔: <<旅芸人>> と <<ランデヴー>> (1945) を中心に 深澤南土実、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学論叢 15, 123-132, 2013-03-31 〕。
1944年、ディアギレフの友人であったコクノや、バレエ批評家のイレーヌ・リドヴァとともに、バレエ・デ・シャンゼリゼを結成するために退団した。1945年にバレエ・デ・シャンゼリゼを発足。バレエ・ダンサー兼振り付け師として活躍し、48年脱退してバレエ・ド・パリを結成した。
1954年、バレエ・デ・シャンゼリゼ以来彼の作品で踊っているバレエダンサーのジジ・ジャンメールと結婚。1952年に映画『アンデルセン物語』、1955年にフレッド・アステア主演映画『足ながおじさん』の振付を担当した。
1966年にバレエ・ド・パリは活動を停止。1972年にマルセイユ・バレエ団の創立と共に招かれる。同バレエ団はのちにローラン・プティ・マルセイユ・バレエ団に改称した。1993年には自伝を発表している。
2011年7月10日、スイスジュネーヴで死去。87歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローラン・プティ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.