|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 調 : [ちょう] 【名詞】 1. (1) pitch 2. tone 3. (2) time 4. tempo ・ 調べ : [しらべ] 1. (n,n-suf) preparation 2. investigation 3. inspection
『ローレライ=ラインの調べ』(ローレライ=ラインのしらべ、)作品154は、ヨハン・シュトラウス1世が作曲したワルツである。 == 概要 == 1843年に作曲されたヨハン・シュトラウス1世の代表作である〔 増田(1998) p.87〕。曲名にある「ローレライ=ライン」とは、ライン川とその岸にそびえる岩山『ローレライ』を指す。この岩山には、ローレライという同名の水の精が棲むと伝承され、その歌声は漁師を魅了して破滅に導くとされる。ヨハン1世はこの『ローレライ伝説』を題材として当楽曲を作曲した。 彼の息子ヨハン・シュトラウス2世は、1844年10月15日に念願の音楽家デビューを果たした際、自身による作品をひととおり演奏し終えた後、デビューコンサートの最後の締めとしてこの曲を演奏している〔 小宮(2000) p.50〕。父ヨハン1世の傑作とされていたこのワルツを演奏することで、ヨハン2世は父に敬意を払い、そのライバルとなる意思はないと表明したのだとされる〔〔 加藤(2003) p.165〕(逆に、聴衆の反応から自身の楽曲に自信を得て、わざわざ父の代表作を演奏したともいわれる〔)。 今日においては、ヨハン1世の楽曲のなかでは『ラデツキー行進曲』が突出して有名であり、この行進曲の陰にその他の曲は隠れてしまっている印象が否めない。代表作とみなされていたこの『ローレライ=ラインの調べ』も、その例に洩れず埋没してしまっている。しかし、ヨハン1世が没するのは『ラデツキー行進曲』作曲の翌年である1849年のことであり、生前のヨハン1世はもっぱら『ローレライ=ラインの調べ』の作曲者として知られていた。 ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場は、これまでのところ1965年と1979年の2回で、どちらも指揮者はヴィリー・ボスコフスキーである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローレライ=ラインの調べ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|