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ローレンス・R・ダスピット : ミニ英和和英辞書
ローレンス・R・ダスピット[ろーれんすあーるだすぴっと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ローレンス・R・ダスピット : ウィキペディア日本語版
ローレンス・R・ダスピット[ろーれんすあーるだすぴっと]

“ダン” ローレンス・ランドール・ダスピットLawrence Randall Daspit, 1905年10月18日-1979年5月19日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は少将
ダスピットは40年にわたる軍歴の大半でおもに潜水艦畑を歩み、第二次世界大戦中の功績により海軍十字章を受章した。また、戦後には重巡洋艦の艦長や、短期間ながら潜水艦隊司令官も務めた。しかしダスピットの軍歴のうち、あらゆる意味で有名なのは特設運送船第三図南丸日本海洋漁業、19,210トン)との対決である。ダスピットは第三図南丸に魚雷を15本も命中させたものの不発魚雷に泣かされ、沈めることができなかった。
== 生涯 ==

=== 前半生 ===
“ダン”こと、ローレンス・ランドール・ダスピットは1905年10月18日、ルイジアナ州に生まれた〔#Find a Grave〕〔#Hall of Valor〕。海軍兵学校(アナポリス)に進み、1927年に卒業。卒業年次から「アナポリス1927年組」と呼称されたこの世代からは、ガードフィッシュ (''USS Guardfish, SS-217'') 艦長やウルフパック司令を務めた〔#Blair p.917〕やフライングフィッシュ (''USS Flying Fish, SS-229'') 艦長を務めた〔#Blair p.909〕、ジャック (''USS Jack, SS-259'') 艦長として1944年2月19日にヒ40船団を壊滅したトーマス・M・ダイカース〔#Blair p.931〕、真珠湾攻撃に先立つワード号事件特殊潜航艇を撃沈したなどがいる。
卒業後、ダスピットは戦艦ニューヨーク (''USS New York, BB-34'') に1929年7月まで配属され、以降、防護巡洋艦ガルベストン (''USS Galveston, C-17'') 、潜水母艦「」 (''USS Fulton, AS-1'') および駆逐艦「」 (''USS Childs, DD-241'') と水上艦に乗り組む〔#Fold3.com〕。1933年、ダスピットはニューロンドンの潜水学校を受講して潜水艦畑の道を歩み、潜水艦「」 (''USS S-20, SS-125'') に配属された〔。1937年にはカリフォルニア大学バークレー校を受講し、受講後の1938年からは潜水艦パイク (''USS Pike, SS-173'') 勤務となる〔#ww2awards.com〕。次いで潜水艦シャーク (''USS Shark, SS-174'') に移り、1941年3月25日から4月17日の間には艦長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローレンス・R・ダスピット」の詳細全文を読む




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