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ローレンス・ウェイジャー : ミニ英和和英辞書
ローレンス・ウェイジャー[じゃー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar

ローレンス・ウェイジャー : ウィキペディア日本語版
ローレンス・ウェイジャー[じゃー]

ローレンス・ウェイジャー(Lawrence Rickard Wager または Bill Wager、1904年2月5日 - 1965年11月20日)はイギリス地質学者探検家登山家である。グリーンランド地質学的に重要な地層であるスケアガード岩体の発見と1933年のエベレスト登山への挑戦によって知られる。
ヨークシャーBatley に生まれた。ケンブリッジ大学ペンブロック・カレッジ (Pembroke College) で学んだ。ケンブリッジ時代には登山に興味をもち大学の登山クラブの会長を務めた。ケンブリッジ大学での研究の後、レディング大学 (University of Reading) の地質学の講師となった。
1930年にジーノ・ワトキンス (Gino Watkins) に率いられたイギリスの北極航空路の経路探索調査に加わり、東グリーンランドに旅して、Kangerdlugssuaq Fjord の入り口でスケアガード岩体を発見した。この岩体の地質学的重要はすぐに明らかになった。グリーンランド遠征はウェイジャーの探検家としての才能を証明し、39日に及ぶ 200km のソリ旅行を行い、当時は北極圏の最も高い山とされていた標高 3,380m の Mont Forel の登頂を目指した。頂上の約150m 下までせまり、登山隊は引き返した。グリーンランドの研究はその後の彼のキャリアの基礎となり、1930年代に3度のグリーンランド調査の指揮、企画を行った。スケアガード岩体やその周辺の詳細な地質調査を行い、''Meddelelser om Grønland'' を出版した。
1933年ヒュー・ラットレッジ (Hugh Ruttledge) に率いられるエベレスト北壁登山隊のメンバーに選ばれ、5月30日ウェイジャーとパーシー・ウィン・ハリス (Percy Wyn-Harris) は頂上を目指す最初のチームとなり、雪の状況や時間の制約から登頂には成功しなかったが、当時の最高到達点に到達した。これは酸素ボンベの助けなしに行われ、1978年にラインホルト・メスナーペーター・ハベラーが酸素ボンベを使わずにエベレスト登頂に成功するまで、酸素ボンベを使わずに登山家が到達した最高点の記録であった(1924年にイギリス隊のエドワード・ノートンも無酸素で同じ標高まで達している)。
第二次世界大戦中は空軍で働いた。1944年にダラム大学の地質学の教授となり、1950年にオクスフォード大学に移った。1953年にグリーンランド調査を行ったが、1955年に心臓病で登山活動から引退した。
== 受賞歴 ==

* 1936年: Mungo Park Medal(Royal Scottish Geographical Society)
* 1945年: ビグスビー・メダル(ロンドン地質学会)
* 1962年: ライエル・メダル(ロンドン地質学会)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローレンス・ウェイジャー」の詳細全文を読む




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