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ローレンス・ハーグレイヴ(''Lawrence Hargrave'' 、1850年1月29日 - 1915年7月6日)はオーストラリアの発明家。航空工学のパイオニアの一人で、有人動力飛行には成功しなかったが、彼が1880 - 90年代に研究・開発した箱凧(box kite)や航空機用ロータリーエンジンは後の重航空機に影響を与えた。 == 前半生 == ハーグレイヴはイングランドのグリニッジでジョン・フレッチャー・ハーグレイヴ(後にニュー・サウス・ウェールズ州の司法長官となった人物)の次男として生まれた。そしてウェストモーランド(''Westmorland'' )のカークビー・ロンズデール(''Kirkby Lonsdale'' )にある王立のグラマー・スクールで教育を受けた。彼は1865年11月5日にラ・オーグ号(La Hogue)でシドニーに到着し、家族でオーストラリアに移住した。彼は職を見つけてから、エルメール号(''Ellemere'' )でオーストラリアを周航した。イギリスでの学校時代に数学の才能を見せていたとは言え、彼は大学入試に失敗し、1867年に技師見習いとしてシドニーのオーストラリア蒸気船会社(''the Australasian Steam Navigation Company'' )に雇われた。後に彼は、この経験が試作機の組み立てに極めて役立つことに気付いた。 1872年、技師として、彼はニューギニアへと航海した。しかしマリア号は難破し、1875年に彼は再び技師としてウィリアム・ジョン・マクレイ(''William John Macleay'' )のパプア湾探検に出帆している。1875年10月から1876年1月まで、彼はオクタヴィアス・ストーン(''Octavius Stone'' )の指揮下でポートモレスビーの奥地を探検した。そして、1876年4月にはルイジ・ダルベルティス(''Luigi D'Albertis'' )の遠征に加わりフライ川を400マイル以上も遡った。1877年、シドニーに戻るとニュー・サウス・ウェールズ王立協会(''Royal Society of New South Wales'' )に加入し、1878年にはシドニー天文台(''Sydney Observatory'' )で助手となった。彼は約5年間この職にあり、一応の技能を身に付けたのち1883年に辞職して、残りの人生を研究に捧げることにした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローレンス・ハーグレイヴ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lawrence Hargrave 」があります。 スポンサード リンク
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