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ワグネル・ロペス : ミニ英和和英辞書
ワグネル・ロペス
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ワグネル・ロペス ( リダイレクト:呂比須ワグナー ) : ウィキペディア日本語版
呂比須ワグナー[ろぺす わぐなー]

呂比須 ワグナー(ロペス ワグナー、Wagner Lopes, 1969年1月29日 - )は、ブラジルサンパウロ州出身の元プロサッカー選手カンピオナート・ブラジレイロ・セリエBアトレチコ・ゴイアニエンセ監督。サッカー指導者。現役時代のポジションフォワード(FW)。ブラジル名はワギネル・アウグスト・ロペス(Wagner Augusto Lopes)。1997年日本帰化し、日本とブラジル二重国籍者となった。
== 来歴 ==

=== 選手時代 ===
サンパウロ州フランカ市で8人兄弟の末っ子として生まれる〔沢田,85頁〕。11歳の頃から学業の傍ら兄が経営する靴工場で働き、週末には地元のサッカークラブ、インテルナシオナルFCで練習する。
1984年、15歳で親元を離れ〔沢田,86頁〕(フランカとサンパウロは同州内であるが約400km離れている)サンパウロFCの下部組織に加入。主にMFとして起用され同年のU-15サンパウロ州選手権で決勝点を挙げ優勝に貢献。1986年にサンパウロFCとプロ契約を結ぶも出場機会に恵まれず、元ブラジル代表オスカーに誘われ〔沢田,88頁1987年に日本に渡り、日産自動車サッカー部に加入。当時監督であった加茂周の指示によりFWに転向し3年間所属後、日立に移籍する。1990年結婚。
移籍後の日立・柏レイソルでは、1992年ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)の得点王となり、ベストイレブンに選ばれる。同年長男が誕生。当時ロペスは日本もブラジル同様に出生地主義を採用していると誤解しており、この頃から「家族全員で日本人になりたい」と考えるようになった〔沢田,89頁〕。翌1993年もベストイレブンと得点ランク2位となる。1993年に世界的スーパースターのカレカと、同じく元ブラジル代表のネルシーニョが加入。ロペスはカレカとの強力2トップでゴールを量産したが、95年から元ブラジル代表FWのミューレルが加入することが決まり、外国人枠から押し出される形で1994年シーズン限りで柏を解雇される。
1995年、Jリーグ準会員ではない本田技研工業に拾われる。1996年にはクラブは初の旧JFL優勝を果たしロペス自身も得点王となるが、本田技研はJ
リーグに準加盟していなかったため、Jリーグへの昇格はされなかった。
しかし本田技研での活躍と帰化の噂が広まった事で1997年Jリーグベルマーレ平塚へ移籍。同年9月に日本国籍を取得すると、名前をそれまでの登録名であったワグネル・ロペスから呂比須ワグナーに改め、直後に日本代表に選出される。平塚では在籍時の2年間とも、チーム得点王になる〔リーグ戦DATA (湘南ベルマーレ) (archive ) Jリーグ〕。
1999年名古屋グランパスエイトに移籍し、同年と2000年の2年連続でチーム得点王〔リーグ戦DATA (名古屋グランパス) (archive ) Jリーグ〕。しかしフロント不信から退団を余儀なくされた〔中日スポーツ (2000年12月6日)〕。
2001年FC東京に移籍〔 名古屋グランパスエイト〕〔 FC東京 (2000年12月19日)〕。開幕戦の東京ダービーではVゴールを含む2得点を挙げる好デビューとなったが〔 サンケイスポーツ (2001年3月11日)〕、呂比須加入に伴って行われた戦術転換が奏功せず、さらに布陣がFWアマラオの1トップへと変更されたことでポジションを失い、シーズン途中でアビスパ福岡へ移籍〔 FC東京 (2001年7月30日)〕。しかしチームは振るわず、J2降格を喫する。2002年はJ2でプレーし、同年限りで現役引退。2002年10月19日、博多の森球技場でのヴァンフォーレ甲府戦のゴールで、日本リーグ・JFL・Jリーグの合計得点が釜本邦茂の202ゴールを超えて203ゴールとなった。後日、福岡のローカルTV番組から203ゴール目を決めた記念ボールを贈られた。12月8日に博多の森球技場で行われた天皇杯2回戦(栃木SC戦)が最後の公式戦出場となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「呂比須ワグナー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Wagner Lopes 」があります。




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