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ワシーリー・グラゴレフ : ミニ英和和英辞書
ワシーリー・グラゴレフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ワシーリー・グラゴレフ : ウィキペディア日本語版
ワシーリー・グラゴレフ[ちょうおん]

ワシーリー・グラゴレフ1898年2月21日 - 1947年9月21日)は、ソ連の軍人。大将。ソ連邦英雄'';1898年2月21日 - 1947年9月21日)は、ソ連の軍人。大将。ソ連邦英雄
==経歴==
カルーガ出身。1916年、ロシア帝国軍に召集され、兵卒として第一次世界大戦に従軍。1918年から赤軍に入隊し、ロシア内戦時、ウラルと北カフカースで戦闘に参加した。内戦終結後、小隊長、中隊長、騎兵連隊長、狙撃師団長を歴任し、その後、参謀業務に就いた。バキン指揮課程(1921年)、指揮要員完全化課程(1926年、1931年)、M.V.フルンゼ名称軍事アカデミー附属上級指揮要員完全化課程(1941年)を修了。
独ソ戦時、第42騎兵師団長(1941年7月~1942年2月)、第72狙撃師団長(1942年2月~10月)、第176狙撃師団長(1942年10月~11月)、第10親衛狙撃軍団長(1942年11月~1943年2月)、第9軍司令官(1943年2月~3月)、第46軍司令官(1943年3月~1944年5月)、第31軍司令官(1944年5月~12月)、第9親衛軍司令官(1945年1月~終戦)を歴任した。クリミア、カフカース、クルスクの戦い、ドニエプルの戦い、ウクライナ解放作戦、白ロシア、バラトン、ウィーンプラハ作戦に参加した。ドニエプル強行渡河と橋頭堡確保の功績に対して、ソ連邦英雄の称号が授与された。
戦後、軍司令官として留まり、1946年4月から空挺軍司令官。1947年9月、現職のまま死亡した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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