翻訳と辞書
Words near each other
・ ワシーリー・グラゴレフ
・ ワシーリー・グラズノフ
・ ワシーリー・グロスマン
・ ワシーリー・ゴルドフ
・ ワシーリー・サフォーノフ
・ ワシーリー・サマルスキー=ビホヴェッツ
・ ワシーリー・シュクシン
・ ワシーリー・スターリン
・ ワシーリー・スリコフ
・ ワシーリー・スーリコフ
ワシーリー・ソコロフスキー
・ ワシーリー・チュイコフ
・ ワシーリー・マクシモフ
・ ワシーリー・マルゲロフ
・ ワシーリー・リャースノイ
・ ワシーリー・リヴァーノフ
・ ワシーリー・ワシリエフ
・ ワシーリー・ワシリエヴィッチ・アンドレーエフ
・ ワシーリー・ヴェレシャーギン
・ ワシーリー・ヴォリスキー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ワシーリー・ソコロフスキー : ミニ英和和英辞書
ワシーリー・ソコロフスキー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ワシーリー・ソコロフスキー : ウィキペディア日本語版
ワシーリー・ソコロフスキー[ちょうおん]

ワシーリー・ダニロヴィチ・ソコロフスキー(、1897年7月21日 - 1968年5月10日)は、ソ連の軍人。ソ連邦元帥ソ連邦英雄
== 経歴 ==
白ロシア、グロドネン州コズリキ村出身。1918年から赤軍。1921年、労農赤軍軍事アカデミー、1928年、高等学術課程を卒業。
ロシア内戦時、東部、南部、で戦い、中隊長、大隊参謀長、連隊長補佐官、連隊長、狙撃師団参謀長先任補佐官、旅団長、第32狙撃師団参謀長を歴任。アカデミー卒業後、トルケスタン戦線参謀部の作戦課長代行、作戦局長補佐官、師団参謀長、師団長を歴任し、フェルガナ及びサマルカンド州の軍集団を指揮。バスマチとの戦闘における功績により、赤旗勲章を授与された。
内戦終結後、モスクワ軍管区の師団参謀長、北カフカーズ軍管区と白ロシア軍管区の狙撃軍団参謀長を歴任。1930年から狙撃師団長、1935年から沿ヴォルガ軍管区参謀次長、同年5月からウラル軍管区参謀長、1938年4月からモスクワ軍管区参謀長。1941年2月から参謀次長。
独ソ戦時、西部戦線参謀長(1941年7月~1942年1月、1942年5月~1943年2月)、西部方面軍参謀長(1941年7月~9月、1942年2月~5月)となる。1943年2月から西部戦線司令官となり、ルジェフ・ヴャゼムスキー、オリョール、スモレンスク作戦を遂行。1944年4月から第1ウクライナ戦線参謀長、1945年4月から第1白ロシア戦線副司令官となり、リヴォフ・サンドミール、ヴィスワ・オーデル作戦、ベルリンの戦いに参加。第二次世界大戦中の功績に対して、ソ連邦英雄の称号を授与。
戦後、駐独ソビエト占領軍集団副総司令官、1946年3月からは総司令官となると同時に、駐独監督会議ソ連代表議員を兼任。1949年3月から軍事第一次官。1952年6月~1960年4月、参謀総長/軍事第一次官(国防第一次官)。1960年から国防省監察総監。第2期~第7期ソ連最高会議代議員。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ワシーリー・ソコロフスキー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.