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ワセダミステリクラブは、早稲田大学内に存在する文化系サークル活動の一つ〔クラブ名表記は「ワセダ・ミステリ・クラブ」というように、三つに区切る場合も見られるが、ここでは公式ホームページの記述に準拠した。なお、大学の公式の書類上は「ワセダミステリ・クラブ」となっている。〕。公式な略称は「W・M・C」だが、外部からは「ワセミス」と呼ばれることも多い。 ミステリのみならずSF、ホラー、ファンタジー、幻想小説、純文学、ライトノベルなど、対象は多岐にわたる総合文芸サークルである〔公式サイト 〕(早稲田には「SF研究会」が定着しなかったことにもよる)。 == 概略 == 1957年、仁賀克雄により創立。江戸川乱歩を顧問、文学部教授鈴木幸夫(千代有三)を会長〔なおその後の第二代会長は井内雄四郎、第三代会長は三川基好〕として発足した。〔『日本ミステリー事典』(権田萬治 新保博久 監修、新潮社、2000年)p176〕。草創期のメンバーには仁賀の他に、『ミステリ百科事典』の間羊太郎や、アニメ版『巨人の星』『ムーミン』等の脚本を担当した山崎忠昭などがいる。1958年に会員の大藪春彦が作家デビューするが、これはを千代有三が彼の作品『野獣死すべし』を江戸川乱歩に紹介し、乱歩が『宝石』への掲載を推薦したことによる。 1966年に、当時立教大学在学中の戸川安宣によって立教ミステリ・クラブが設立されるが、これは戸川とワセダミステリクラブ員の交流がきっかけであった〔「あらずもがなのあとがき」戸川安宣 - 『ニッポン硬貨の謎』(北村薫、創元社〔創元推理文庫〕、2009年)p314〕。 1975年に、他の5大学のミステリ研究会〔慶應義塾大学推理小説同好会、青山学院大学推理小説研究会、立教ミステリ・クラブ、法政大学推理小説研究会、独協・ミステリ・クラブ〕とともに全日本大学ミステリー連合を結成〔『日本ミステリー事典』(権田萬治 新保博久 監修、新潮社、2000年)p176〕。 1980年代後半から1990年代前半にかけて、ワセダミステリクラブ出身者の折原一、北村薫、山口雅也、霞流一らがあいついでデビューし、同時期デビューの京都大学推理小説研究会出身作家、同志社大学推理小説研究会出身作家、立教ミステリ・クラブ出身作家らとともに、本格ミステリの第三の波を展開させたといわれる。〔『本格ミステリ・クロニクル300』(探偵小説研究会・編著、原書房、2002年)p8〕 この他、作家、翻訳家、評論家、編集者らが出身者に多数いる。 また、OBは「ワセダミステリクラブOB会」として、他大学出身者を含めて〔明治大学出身の石上三登志は、「ヒッチコック・マガジン」のファンの集まりで知合った仁賀克雄の誘いで、OB会に参加したという。(『はじめて話すけど… 小森収インタビュー集』(フリースタイル)より)。専修大学出身の日下三蔵もワセダミステリクラブOB会会員。出典:早稲田祭2007 企画紹介 道尾秀介講演会 〕、親睦活動を行ってきた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワセダミステリクラブ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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