|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロバート・"ワディ" ワクテル(Robert "Waddy" Wachtel 1947年5月24日、ニューヨーク市クィーンズ、ジャクソン・ハイツ出身)はアメリカ合衆国のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。ギターを中心に様々な楽器を操るマルチ・インストゥルメンタリスト。 1970年代にウォーレン・ジヴォンに発掘され、以降ジヴォンを通じて人脈を広げ、現在まで数多くのアーティストのレコーディング、ツアーなどに参加している。様々なジャンル、スタイルに対応可能な音楽センスとテクニック、作曲・アレンジ能力は業界でも評判が高く、ジヴォンのほかにもジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、スティーヴィー・ニックス、キース・リチャーズ等がワクテルを高く評価し、繰り返し彼を起用している。 == キャリア == ===初期=== 10歳の頃からギターを習い始める〔(元々は左利きであったのをこの機会に右利きに矯正した)。14歳で作曲を開始。あらゆるスタイルのギターを弾きこなし、楽譜の読み書きを覚えた。初期にはルドルフ・シュラム(NBCスタッフオーケストラの代表)にも師事し、週3回のレッスンでリズム、メロディ、ハーモニーについて学んだ。 ニューヨークのローカル・バンドでプレイした後、初のリーダー・バンド、オーファンズを結成。バンドはガレージロック、サーフ・ロックやストーンズのカバーなど、様々な曲を演奏していた。ロードアイランドのニューポートにあるバーでの仕事を獲得し、バーでの演奏の傍ら、1年間に渡ってジャズ・ギタリストのサル・サルヴァドール(en:Sal Salvador)に師事し、インプロヴィゼーションとソロを学ぶ。 オーファンズ解散後はトゥワイス・ナイスリーを結成。バド・カウシル(カウシルズ)のアドバイスもあり、1968年にロサンゼルスに本拠地を移し、デモ・テープを制作。しかし2年後、ワクテルはセッション・プレイヤーとして活動することを決め、同時にカウシルズから彼らのアルバムのプロデュースとレコーディングへの参加を依頼される。 1979年、ダン・ダグモア、リック・マロッタ、スタンリー・シェルドンらとローニンを結成。マーキュリーからセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリース。ロッシントン・コリンズ・バンドのオープニングアクトとしてツアーにも出た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワディ・ワクテル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Waddy Wachtel 」があります。 スポンサード リンク
|