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ワラキア農民蜂起 : ミニ英和和英辞書
ワラキア農民蜂起[ほうき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [のう]
 【名詞】 1. farming 2. agriculture 
農民 : [のうみん]
 【名詞】 1. farmers 2. peasants 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
: [はち]
 【名詞】 1. bee 
蜂起 : [ほうき]
  1. (n,vs) uprising 2. revolt

ワラキア農民蜂起 ( リダイレクト:ワラキア蜂起 ) : ウィキペディア日本語版
ワラキア蜂起[わらきあほうき]

ワラキア蜂起(ワラキアほうき、ワラキア農民蜂起とも)(ルーマニア語:Revoluția de la 1821(1821年革命))とは1821年オスマン帝国支配下のワラキア公国で発生した蜂起。ギリシャ独立戦争と同時に行われたが、ロシアの協力を得ることができずオスマン帝国によって鎮圧された。
== 背景 ==

=== オスマン帝国の侵攻 ===

オスマン帝国がヨーロッパへ勢力拡大に動き、コソボの戦いでバルカン諸侯軍を撃破するとオスマン帝国のバルカン半島支配が決定的となった。そのため、ブルガリアセルビアはオスマン帝国支配下となりギリシャボスニアアルバニアもその攻撃を受けた。そのなか、現在のルーマニア南部に位置するワラキアミルチャ1世はオスマン帝国の宗主権を受け入れざるを得ない状況に陥り〔矢田 (1977)‎、pp.101-103〕、1411年以降、オスマン帝国へ朝貢を行い〔矢田 (1977)‎、p.106〕、その公位もオスマン帝国の意思によって左右される事態に至った〔矢田 (1977)‎、p.149〕。
一時期、ウラド3世の時代には遠征してきたオスマン帝国スルタンメフメト2世を2度に渡って撃退し〔矢田 (1977)‎、pp.106-107〕、ミハイ勇敢侯の時代にはオスマン帝国を撃退してモルダヴィアトランシルバニアを併合、ルーマニア統一に成功した。しかし、ミハイ勇敢侯が死去すると再びワラキアはオスマン帝国支配下となったが〔、ギリシャ、セルビア、ブルガリアと違い半独立状態で自治権は与えられた〔矢田 (1977)‎、pp.183-184〕。
当初、モルダヴィア、ワラキアはオスマン帝国へ貢納することで自治権を認められていたが、公爵の地位などをめぐって貴族(ボィエール)らの間で争いが生じた。このため、ボィエールらは自らを有利にするためにオスマン帝国の高官らへ賄賂を送るようになったが、これは公爵の地位をオスマン帝国が左右することにつながった〔〔木戸(1977)‎、pp.87-88〕。そしてオスマン帝国占領下で認められた正教会を抑えていたためにその地位が向上していたギリシャ人らがワラキア、モルダヴィアへ移住しはじめた〔 南塚 (1989)、p.182〕。
露土戦争 (1710年-1711年)でオスマン帝国が勝利した1711年以降、ワラキア及びモルダヴィアの諸侯の地位はオスマン帝国の監督下となり、その公位をオスマン帝国で特権を有していたギリシャ人であるファナリオティスが務めるようになった。この中にはイプシランディス家マヴロコルダトス家といった後にギリシャ独立戦争で活躍する一族も着任した〔ウッドハウス(1997)、p.150〕〔木戸(1977)‎、p.88〕。そしてこのオスマン帝国による統治は徐々に肥大化していたオスマン帝国の維持のために貢納など搾取され、果てには公位でさえも競売される事態に至り〔 オツェテァ1 (1977)、p.265〕、なおかつ極一部の公位を買うことのできるファナリオティスらに独占された〔カステラン (2000)‎、p.115〕。
ワラキア、モルダヴィア両公国は軍隊が廃止されて儀礼など必要最小限にされ、外交権もオスマン帝国の管理下に置かれた。そして搾取はワラキアの人々の困窮と反感をもたらし、18世紀以降、農民らは土地から逃亡し、さらにヨーロッパがオスマン帝国に対して優位になるとオスマン帝国は国の維持のために搾取を強化、これにワラキアの人々は抵抗を強めていった〔カステラン (2000)‎、p.115〕〔 オツェテァ1 (1977)、p.266〕〔カステラン (2000)‎、p.60〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ワラキア蜂起」の詳細全文を読む




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