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ワルシャワ公国(ワルシャワこうこく)は、ナポレオン・ボナパルトによって作られた公国である。1807年のティルジット条約に基づき、プロイセン王国からの領土割譲によって作られた。ナポレオンが1812年にロシア遠征に失敗した後、公国はプロイセンとロシアに占領され、1815年のウィーン会議の結果2つの国に分割された。 == 歴史 == === 建国 === 1806年に徴兵に反対する暴動が起こった。これが大衆の支持を集めて拡大し、後にワルシャワ公国となる地域がプロイセンの支配から脱却した。そこで生まれた新政府は最初の仕事として、東プロイセンでロシア軍と戦っているフランス軍への食料供給を行った。 公式にはワルシャワ公国は、1807年にナポレオン・ボナパルトがプロイセンと結んだティルジット条約の一部の実施事項として建国された。この建国を支持したのは、ポーランドが18世紀後半に分割された後も当地に残っていた共和主義者と、ポーランドの主権を回復出来る人物はナポレオンしかいないと信じてフランスに逃れていた多くのポーランド人だった。ワルシャワ公国は衛星国として建国されたが(王国ではなく公国だった)、多くの人は、いずれはこの国の領土も状態も元に戻るだろうと期待し、また信じていた。 新たに建国(再建)された国家は、形式上は独立公国で、フランスと同盟を結び、ザクセン王国との同君連合の下に置かれた。ナポレオンに従い、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世はその新しい領国を下院議会(セイム)をともなった立憲君主国とした。しかし、公国が真の独立国として発展することは許されなかった。フランスは公国を資源の産出源として扱い、フランスの国益に従ってフリードリヒ・アウグスト1世が公国を統治した。そのため、公国の事実上の最重要人物は、首都ワルシャワに拠点を置くフランス大使であった。さらに、公国としては海外で外交する手段を持っていなかった。 1809年、公国とオーストリアとの間で短い戦争が起こった。ラーシンの戦いで敗北してオーストリア軍にワルシャワ入城を許したものの、その後にポーランド軍は敵の裏をかき、クラクフやルヴフ、その他ポーランド分割でオーストリアに併合された領域の多くを占領した。その結果、シェーンブルン条約では、かつてのポーランド領を取り戻すべく、南方への著しい領土拡大が認められた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワルシャワ公国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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