翻訳と辞書
Words near each other
・ ワルター・ギラー
・ ワルター・ギーゼキング
・ ワルター・クリスタラー
・ ワルター・クリーン
・ ワルター・グライナー
・ ワルター・グロピウス
・ ワルター・ゲーア
・ ワルター・ゲール
・ ワルター・コーン
・ ワルター・サムエル
ワルター・ジュスキント
・ ワルター・ゼンガ
・ ワルター・ダムロシュ
・ ワルター・ダムロッシュ
・ ワルター・ダレ
・ ワルター・トランプラー
・ ワルター・ニーマン
・ ワルター・ノダック
・ ワルター・ハーリヒ
・ ワルター・バセッジョ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ワルター・ジュスキント : ミニ英和和英辞書
ワルター・ジュスキント[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ワルター・ジュスキント : ウィキペディア日本語版
ワルター・ジュスキント[ちょうおん]

ワルター・ジュスキントWalter Süsskind, 1913年5月1日 - 1980年3月25日)は、チェコ指揮者。〔〕英語読みでウォルター・ススキンドなどと表記されることもある。
==経歴==
プラハの生まれ。プラハ国立音楽院スークハーバ作曲を、カレル・ホフマイスターにピアノを師事した。また、ドイツ音楽アカデミーではセルに指揮を教わっている。
1931年にピアニストとしてデビューしたが、1934年にはプラハ・ドイツ歌劇場でセルのアシスタントとして指揮者のキャリアを開始することになった。1938年にプラハ・ドイツ歌劇場が閉鎖されると、ナチスの迫害を嫌ってイギリスへと逃れ、チェコ三重奏団のピアノ担当として糊口をしのいだ。1941年に指揮活動を再開し、1943年から1945年までカール・ローザ・オペラ・カンパニーの指揮者を務めた。1946年から1952年まではスコットランド管弦楽団の首席指揮者を務め、1953年から2シーズンの間メルボルン交響楽団の指揮者を務めていた。1956年から1965年まではトロント交響楽団の首席指揮者となり、この間にカナダでユース・オーケストラを結成したり、アスペン音楽祭の監督を務めたりもしている。1968年からはセントルイス交響楽団の音楽監督に就任し、1975年まで務めた。最終ポストは、1978年から没年にかけてのシンシナティ交響楽団の首席指揮者である。
カリフォルニア州バークレーでこの世を去った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ワルター・ジュスキント」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.