翻訳と辞書
Words near each other
・ ワレワレハ地球人ダ
・ ワレンの分類
・ ワレンシュタイン
・ ワレンス
・ ワレンチナ
・ ワレンチナ・テレシコワ
・ ワレンチナ・マトビエンコ
・ ワレンチナ・マトヴィエンコ
・ ワレンチン・イワノフ
・ ワレンチン・カターエフ
ワレンチン・ガブリロフ
・ ワレンチン・コラベリニコフ
・ ワレンチン・コワレンコ
・ ワレンチン・セーロフ
・ ワレンチン・ドゥビニン
・ ワレンチン・パブロフ
・ ワレンチン・ムラトフ
・ ワレンチン・ユマシェフ
・ ワレンチーナ
・ ワレンティナ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ワレンチン・ガブリロフ : ミニ英和和英辞書
ワレンチン・ガブリロフ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ワレンチン・ガブリロフ : ウィキペディア日本語版
ワレンチン・ガブリロフ


ワレンチン・ガブリロフ(、ローマ字:Valentin Gavrilov、1946年7月26日 - )は、旧ソビエト連邦の陸上競技選手。1960年代後半から1970年代初頭にかけて活躍した男子走高跳選手で、1968年メキシコオリンピックの銅メダリストである。モスクワ出身。
== 経歴 ==
ガブリロフは、「人間衛星」ともいわれ、ベリーロールで2m28の世界記録を樹立したワレリー・ブルメルの次の世代のソ連のハイジャンパーである。1966年のヨーロッパ選手権では2m06で7位という結果を残し、翌1967年には2m12でソ連のチャンピオンに輝く。1968年のヨーロッパ室内陸上では、2m17で優勝した同じソ連のワレリー・スクボルツォフと同記録の銀メダルを獲得した。
ガブリロフは、1968年のメキシコオリンピックに出場。メキシコ大会の走高跳は歴史に残る大会となる。ガブリロフは、アメリカエド・カルザースとともに優勝候補と見られていた。しかし、同じアメリカから出場した見慣れない跳躍を見せるディック・フォスベリーに観衆の注目が集まった。この跳躍こそが現在の世界の常識となっている「背面跳び」であった。ガブリロフは2m00から跳躍をはじめ、自己ベストとなる2m20まで1回も失敗することなくクリアした。一方のフォスベリーも、2m20まで1回で成功していた。しかし、2m22にバーがあがると、1回で成功したフォスベリーに対して、ガブリロフは3回とも失敗。カルザースが2m22を成功したため、ガブリロフは銅メダルとなった。
翌1969年には、2m21の自己ベストを出し、同年には2m17でヨーロッパ選手権も制覇。しかし、メキシコオリンピック以降、走高跳の跳躍法は急速に背面跳びに移行していく中、ガブリロフの成績は振るわなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ワレンチン・ガブリロフ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.