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ワンダ・ガアグ : ウィキペディア日本語版
ワンダ・ガアグ

ワンダ・ヘイゼル・ガアグ(、1893年3月11日 - 1946年6月27日)とはアメリカ合衆国の芸術家、作家、翻訳家、イラストレーターであり、ニューベリー賞、を受賞した代表作の児童絵本「」(100まんびきのねこ)は出版され続けているアメリカ合衆国の絵本で最も古い。ABC Bunnyもニューベリー賞を、「Snow White and the Seven Dwarfs」(しらゆきひめと七人の小人たち)や「Nothing at All」でコールデコット賞を受賞した。
1940年に、自身の日記(1908年から1917年まで)を抜粋、編集した上で出版した「Growing Pains」(邦題:ワンダ・ガアグ 若き日の痛みと輝き 「100まんびきのねこ」の作者が残した日記〔ワンダ・ガアグ 若き日の痛みと輝き 「100まんびきのねこ」の作者が残した日記 〕)は高い評価を受けた〔Wanda Gág, ''Growing Pains''. Borealis/Minnesota Historical Society Press, Saint Paul, p. xviii〕〔Frances Smith. Testament of Faith , a review of Gág's ''Growing Pains''. ''The Saturday Review'', October 5, 1940, p. 12〕。
==前半生==
1893年3月11日にミネソタ州で生まれた〔Wanda Gág bio , Minnesota Historical Society. Accessed Apr. 26, 2011.〕。父親は画家、写真家だった。7人きょうだいの一番上で、絵を描いたり、歌ったり、物語や詩を書きながら育ち〔Audur H. Winnan, ''Wanda Gág'', Smithsonian Institution Press, 1993, p. 2〕、10代の頃に描いたイラスト主体の物語である「Robby Bobby in Mother Goose Land」がの子供新聞増刊号に掲載された〔Richard W. Cox, Minnesota History, Fall 1974, p. 250〕、15歳の時に父親が死去、ワンダに最後に遺した言葉は「Was der Papa nicht thun konnt’, muss die Wanda halt fertig machen.」だった〔Gág, p. xxxi〕。父親の死後、一家は戦争に巻き込まれ、働かざるを得なくなったとされる。しかしこれらの困難にも負けず学校に通い続け1912年6月に卒業、同年11月から1913年6月までにある国立学校で教鞭を取っていた〔Winnan, p. 89〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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