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ワーズ・アイランド橋(Wards Island Bridge)または103丁目歩道橋(103rd Street Footbridge)は、ニューヨーク市のマンハッタン島とワーズ島の間に架かる歩行者用の橋である。この昇開橋は、鉄塔と大梁から成る合計12のスパンを持つ。橋を渡れるのは、歩行者と自転車のみである。 川のマンハッタン側では、橋の入口はFDRドライブの14、15番出口の間、103丁目の東側に位置する。橋からは、FDRドライブを横切ったイースト・リバー遊歩道やスパニッシュ・ハーレムのイースト・リバー・ハウス団地へアクセス可能である。橋は対岸のワーズ島の南西を結び、ランドールズ・アンド・ワーズ・アイランド・パークの多くの競技場や海岸通りにアクセスできる。 1680万ドルのインフラ計画のため、2年間は閉鎖されていたが、2012年6月1日に再開し、年中24時間通ることができる。以前は、4月から10月までの昼間のみ使用できた。 == 歴史 == ワーズ島への最初の橋は、島の北西部とマンハッタンの東114丁目との間にあり、木製の跳ね橋だった。橋は、嵐によって破壊され、フィリップ・ミレドラーとバーソロミュー・ワードによって営まれる綿産業に利用するため、1807年から1821年にかけて再建された。 1936年にトライボロー・ブリッジ・アンド・トンネル・オーソリティによってトライボロー橋が建設されたことで、マンハッタン島からランドールズ島とワーズ島へ徒歩で初めてアクセスできるようになった。マンハッタンの住民に、ワーズ島の公園へのよりよいアクセスルートを提供する計画は、1937年にロバート・モーゼスによって展開されていたが、橋の建設は1949年まで始まらなかった。設計は、ハーレム川歩道橋などで知られるオスマー・アマンが担当した。橋は、トライボロー・ブリッジ・アンド・トンネル・オーソリティによって建造され、ニューヨーク市に譲渡された。 ワーズ・アイランド橋は、1951年5月18日に、210万ドルのコストをかけて、歩行者向けに開通した。橋は1967年には、自転車にも開放している。橋はもともと、赤、黄色、青のカラーでデザインされていたが、1986年に瑠璃色とエメラルドグリーンになった。 夜間と冬の数ヶ月間の橋の橋のアクセス制限は、マンハッタン州立精神療養所とイースト・リバー・ハウスの間を橋を利用して住民が頻繁に行き来した、1980年代と1990年代に遡る。住人は、患者には犯罪の増加に責任があると信じていた。 1999年、ニューヨーク市交通局が、橋の固定化を提案した。しかし、この提案は、3番街橋、ウィルス・アベニュー橋、145丁目橋の改造プロジェクトで使用する建設機械をハーレム川で運ぶため、間隔が必要となり、遅れた。 ワーズ・アイランド橋は、2010年4月から2012年4月にかけて改装された。これには、通路デッキ、金属製上部構造、電気システム、機械操作システムの改装も含まれている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワーズ・アイランド橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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