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ワードプロセッサ()は、コンピュータで文章を入力、編集、印刷できるシステムである。一般的な略称は「ワープロ」。ワープロ機能をROM化して組み込んであるワープロ専用機と、汎用的なパーソナルコンピュータで動作するワープロソフトがある。この記事では主に前者を扱う。 == 概説 == 文章を入力し、活字で印字するシステムとして、欧文を用いる地域ではタイプライターが利用されていた。日本語ではアルファベットだけでなくかなや漢字も使うため、欧文タイプライターのように個別のキーの押下が印字ヘッドの運動に変換される機構では文字数が不足であった。日本語用の和文タイプライターも存在したが、1000以上の文字が並んだ盤面から目的の文字をひとつずつ検索して拾い上げる必要があり、操作方法が煩雑で熟練技能を必要とした。 日本では技術的発展と市場への普及時期の関係から、ワープロ専用機の時代を経てパソコンでのワープロソフトの利用へと移行する経過を経た。このため装置としてワープロと称する場合には前者のワープロ専用機を指すことが多い。一方欧米諸国ではアルファベット文字を使用しタイプライターが普及していたためワープロ専用機の必要性が少なく、タイプライターからコンピュータのワープロソフトに短期間で移行したためワープロ専用機は普及しなかった。 20世紀半ばにコンピュータが発明され、小型化・低価格化が進む過程で、文章の作成への応用が行われた。紙に文字を記入するのに比べコンピュータでは修正、推敲が容易であることが利点である。欧文圏では使用される文字が英数字に若干の記号を加えた程度で処理が可能なため、比較的容易にワードプロセッサが作られた。世界初のワードプロセッサは、1964年のIBM MT/STで、その後もワング・ラボラトリーズ社などからいくつか英文ワープロ専用機が登場した。一方日本では、漢字入力の方式という非常に困難な課題の他にもアルファベットより複雑な字形の印刷という課題があったため、なかなか製品が登場しなかった。 1977年、シャープが試作機を開発、5月のビジネスシヨウに出品した〔http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/index.html〕〔http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0036.html〕。なお、後に商品化したモデル(WD-3000)ではかな漢字変換は実装されていなかった。 1978年、東芝が初の日本語ワードプロセッサJW-10を発表した。これはワープロ専用機で、価格は630万円であった。(これはIEEEマイルストーンに選定されており、時代を画したものである。) 日本語版の実現には、かな文字を入力し、その読みから候補となる漢字を選択する、コンピュータによるかな漢字変換の仕組みが開発されたことがあった〔かな漢字変換機構の開発の経緯はNHKのテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』(2002.9.3 第95回)が取り上げている〕。当初から構文解析を行い、文節単位、熟語単位の変換が可能となっており、同音語の学習機能も備えていた。〔情報処理学会 歴史特別委員会『日本のコンピュータ史』ISBN 4274209334 p132〕〔http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0049.html〕かな漢字変換機構は、単に日本語ワードプロセッサ専用機の実用化だけではなく、汎用コンピュータに限らず電子手帳や携帯電話等の電子機器も含めた、広い意味でのコンピュータによる日本語利用を普及させるための核心となる技術であった。 1979年3月、沖電気が OKI WORD EDITOR-200 を発表。キーボード入力を採用し、漢字入力は1字ごとに変換する方式であった。音読みでかな入力すると同じ読みの漢字がリスト表示され、その中から入力したい文字を選択する形である。〔情報処理学会 歴史特別委員会『日本のコンピュータ史』ISBN 4274209334 p133〕〔http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0035.html〕 1979年9月、シャープが書院WD-3000を発表。キーボード入力・かな漢字変換ではなく、タッチペン方式であった〔http://museum.ipsj.or.jp/computer/word/0039.html〕。キーボードの方が能率がいいのはわかっていたが、「キーボードアレルギー」対策だとのことである〔山根一眞『「メタルカラー」の時代』ISBN 4-09-379421-9 pp. 343-349〕。 翌1980年より電機メーカー、事務機メーカーなどが次々と日本語ワープロ市場に参入し、競争により価格も下がり、大手企業への導入が進んだ。1980年には平均単価200万円だったワープロの価格は、1985年には16.4万円と劇的に下がった〔OASYS 100G-コンピュータ博物館 〕。1980年代後半には、ワープロ専用機は、持ち運びが可能な大きさまで小型化されたパーソナルワープロとして、中小企業や個人への導入が始まった。〔情報処理学会 歴史特別委員会『日本のコンピュータ史』ISBN 4274209334 p135-136〕 この頃の個人向けパーソナルワープロは、本体にキーボードに一体化されたプリンタと数行程度の液晶表示パネルを備える専用機であり、文章の作成、校正、編集、印刷などの機能を持つだけであった。機械の性能が向上するに連れて、液晶表示パネルの表示行数が増加し文書全体のレイアウトを把握しやすくなり、また印字機能の発達により明朝体のみだった印刷フォントもゴシック体や毛筆体など種類が増え、写植に匹敵するような高精細な印字が可能となった。さらにはカード型データベースや住所録、表計算、パソコン通信などの付加機能も搭載されているものが増え、テキストの処理に関しては当時のパーソナルコンピュータ(パソコン)と同等以上の高機能となった。 その一方でパーソナルコンピュータには漢字ROMが搭載され、BASIC(当時はオペレーティングシステム (OS) も兼ねていた)でも漢字を使用する事ができる様になり、ソフトウエアをベースとするワープロが登場し、簡易的なワープロソフトや安価な漢字プリンタが登場するに至った。この後、パソコンの代表的なオペレーティングシステムであるMS-DOS上でも漢字処理ができる様になり、パソコンの普及とその市場の拡大とともに安価なワープロソフトが誕生するに至る。 また1980年代にはこれら個人向け製品の流れとは別に、ビジネス用途としてワークステーションに漢字処理機能が搭載されパーソナルワープロ同様の機能に加え様々な組版機能が盛り込まれた物が登場する。これらの多くは企業内での文書作成の写植システムとして活用され、パーソナルワープロとは別の道を歩む事となる。 1990年代に入ると画面が白黒からカラー液晶へと進化を見せる部分があるものの、パソコンやワープロソフトの低価格化、安価なパソコン用高性能プリンターの登場、また普及し始めたインターネットにアクセスしにくかったために、ワープロ専用機は売れ行きが落ち、1999年にはついにパソコンの売上がワープロ専用機の売上を逆転、2001年までに製造が中止された。企業内での文書作成も、一般のビジネスソフトと市販プリンタで代替されていき姿を消した。 しかし、ワープロ専用機を支持する熱心なユーザーも多く、中古機市場での相場が上昇したこともある。理由には、50歳代以上の年代には慣れ親しんだワープロ専用機への愛着が強いこと、ワープロ専用機は必要な機能が本体ハードウエアに一体化されており電源を入れるだけですぐ使えること、パソコンのような色々な操作やパッチ(フィックス)適用などがほぼ不要な事が挙げられる。このため2010年現在、ワープロの製造・修理サポートが終了以後には、修理専門の業者が既存で残った製品の部品から使えるものを選び出し、壊れた製品のそれと交換する形(いわゆるニコイチ修理)でしのいでいる事が報道された〔2010年8月20日放送のニュースウオッチ9 (NHK)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワードプロセッサ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Word processor 」があります。 スポンサード リンク
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