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ヴァイマール=オーラミュンデ伯爵 : ミニ英和和英辞書
ヴァイマール=オーラミュンデ伯爵[はくしゃく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 
伯爵 : [はくしゃく]
 【名詞】 1. count 2. earl 

ヴァイマール=オーラミュンデ伯爵 ( リダイレクト:ヴァイマール=オーラミュンデ伯 ) : ウィキペディア日本語版
ヴァイマール=オーラミュンデ伯[う゛ぁいまーるおーらみゅんではく]
ヴァイマール=オーラミュンデ伯 (Graf von Weimar-Orlamünde) は、現在のテューリンゲン州をその領域とする独自の政治勢力及び当該地域を領有した領主の爵位。したがって「ヴァイマール=オーラミュンデ伯領」と言う場合、ヴァイマール伯領オーラミュンデ伯領とを併せてこう呼ぶわけではない。
旧系統のヴァイマール伯家のオットー1世は、1060年頃オーラミュンデ伯に就くことに成功した。1062年オットーの長兄でヴァイマールを統治していたヴィルヘルム4世が子供を遺さずに亡くなり、オットーはヴァイマール位にも就くこととなった。これ以後、両地域はヴァイマール=オーラミュンデ伯領として合併された。
1112年、ウルリヒ2世の死により旧系統のヴァイマール=オーラミュンデ伯家は断絶した。遺産相続人は、前述のオットー1世の娘アーデルハイドで、結婚相手のバレンシュテット伯アダルベルト2世アルブレヒト熊公の祖父)にもたらされた。神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世をも巻き込んだ相続争いの後、ヴァイマール=オーラミュンデ伯は、アダルベルトの息子のライン宮中伯ジークフリート・フォン・バレンシュテット1113年没)のものとなった。その後アスカーニエン家の近親者を経てアルブレヒト熊公がこれを引き継いだ。
アルブレヒト熊公が1170年に亡くなると、アスカーニエン家の相続財産の分配によって、新系統のヴァイマール=オーラミュンデ伯は、熊公の若い息子ヘルマン1世に引き継がれた。
その孫のヘルマン2世1180年 - 1247年1206年からヴァイマールを統治)の下でこの伯領は短い全盛期を迎える。ヴァイマール=オーラミュンデ伯は所領の構築を始め、後にはヴェッティン家一門のテューリンゲン方伯と対立するようになった。しかし、ヘルマン2世の死後、彼の息子のヘルマン3世1283年没)とオットー3世1340年没)は所領を分割した。ヴェッティン家と対立していたこの伯家は、これでさらに弱体化し、深刻な財政上の問題が生じた。結局これによりヘルマン3世が相続したオーラミュンデ部分はヴェッティン家に買収されてしまった。
オットー3世が創りなおしたヴァイマール系の一門は孫のフリードリヒ1世の代1365年まで続いたが、テューリンゲン伯戦争に敗れ、結局ヴェッティン家一門をヴァイマール伯に任じた。ヴァイマール伯家は帝国直轄領としても独立した政治勢力としても消滅した。ヴァイマール伯位は1373年に断絶するまでヴェッティン家が保持したが、それはすでにヴェッティン家の家臣として存在していたに過ぎない。最後のヴァイマール伯ヘルマン6世の死後は、ヴェッティン家のヴァイマール領はその封土として取り込まれた。ヴァイマールは、ヴェッティン家の所領の一部となったのである。このライプツィヒ部分はエルネスティン家の手に渡り、さらにこの地を宮廷所在地としたヴィッテンベルク家の降伏後はザクセン=ヴァイマール公、後のザクセン=ヴァイマール=アイゼナハ公、さらには同大公の所在地となった。
アスカーニエン家のヴァイマール=オーラミュンデ伯は、その傍流に引き継がれたが、1467年にヴェッティン家にその最後の所領を奪われ、1486年に断絶した。
== ヴァイマール=オーラミュンデ伯の一覧 ==
以下に記す以前については、ヴァイマール伯オーラミュンデ伯を参照のこと。
;旧系統のヴァイマール伯
*オットー1世マイセン辺境伯 1062年 - 1067年
*ウルリヒ1世 1067年 - 1070年
*ウルリヒ2世 1070年 - 1112年
1112年5月13日ヴァイマール伯家の男系が断絶、伯領はアーデルハイト・フォン・オーラミュンデ(オットー1世の娘)を介して、ライン宮中伯ジークフリート・フォン・バレンシュテット(アスカーニエン家)に渡った。
;アスカーニエン家系ヴァイマール=オーラミュンデ伯(新系統のヴァイマール=オーラミュンデ伯)
*ジークフリート1世、ライン宮中伯 1112年 - 1113年
*ジークフリート2世 1113年 - 1124年
*ヴィルヘルム 1124年 - 1140年
*アルブレヒト熊公 1140年 - 1170年
*ヘルマン1世 1167年 - 1176年
*ジークフリート3世 1176年 - 1206年
*アルブレヒト2世 1206年 - 1245年(弟のヘルマン2世と共同名義、実際の統治は行っていない)
*ヘルマン2世 1206年 - 1247年(兄のアルブレヒト2世と共同名義)
*ヘルマン3世 1247年 - 1283年
*オットー3世 1247年 - 1285年
*ヘルマン4世 1285年 - 1319年
*オットー4世 1285年 - 1305年
*オットー6世 1305年 - 1340年
*フリードリヒ1世 1340年 - 1365年 1365年にヴェッティン家の領主権を認めた
*(ヘルマン6世)1365年 - 1373年アスカーニエン家系最後のヴァイマール伯、ヴァイマール伯領はヴェッティン家の封土に併合された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴァイマール=オーラミュンデ伯」の詳細全文を読む




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