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ヴァスィリキーウ()はウクライナ・キエフ州の市である。ステューフナ川に面し、ヴァスィリキーウ地区(ru)の中に位置するが、同地区には含まれない独立市である。人口は2001年ウクライナ国勢調査の時点で39700人だった。 ==歴史== 年代記における最初の言及は、988年、ウラジーミル1世がキエフ南方の遊牧民に対する要塞として建設した、という主旨の記述である。当時の名はヴァシリエフであり、それはウラジーミル1世の聖名・ヴァシリーにちなんで命名されたものだった。ヴァシリエフには木造りの教会が建てられ、ステューフナ川の水路を含む交通路でルーシとヨーロッパとをつないでいた。なお付近には大蛇の長城跡が見られる。1157年、ユーリー・ドルゴルーキーの子のヴァシリコ(ru)の統治下において、現在の名に改名された。1240年にはモンゴルのルーシ侵攻によって甚大な被害を被った。上記の教会はモンゴル軍によって破壊された。 1586年、マクデブルク法を採用した。1658年にはヴァスィリキーウ付近で、ロシア・ツァーリ国のヴォエヴォダであるユーリー・バリャティンスキー(ru)が、コンスタンティン(イヴァン・ヴィホーウシキーの弟)の軍に敗れている。 1796年、ヴァスィリキーウは市となった。1765年に、上記の破壊された教会の跡地にアントニー・フェオドシー大聖堂(ru)が、また1792年にはムィコラーイ教会(uk)が建設された。1826年には、帝政ロシアに対するチェルニーヒウ連隊の蜂起(ru)が起こった。 市の北端には飛行場があり、ソビエト連邦期には41機のMiG-25から成る戦闘機部隊が置かれていた。ウクライナの独立後は、キエフ南方の防衛のために10機のMiG-29から成る航空団が配置されている。また、市内にはパン製品のコンビナートがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァスィリキーウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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