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イヴィツァ・ヴァスティッチ(Ivica Vastić、1969年9月29日 - )は、クロアチア・スプリト出身のオーストリア代表の元サッカー選手、サッカー指導者。愛称はイヴォ(Ivo)。 == 略歴 == クロアチアで生まれ育つが、1991年から始まった内戦の混乱によりクロアチアを離れてオーストリアに帰化し、代表に選出され活躍を見せた。SKシュトルム・グラーツに在籍時はイヴィツァ・オシムが指揮を執るチームの下で活躍。ほぼ同時期に同じクラブに所属していたマリオ・ハース(後にジェフユナイテッド市原・千葉でプレー)と共にゴールを量産、クラブの黄金時代を築いた。 2002年からは名古屋グランパスエイトに在籍。ストイコビッチ引退後、初の欧州選手とあってか、「ピクシーの後継者」とも言われていた。在籍した1年半の間で、公式戦31試合13得点と期待通りの活躍はできなかったものの、劇的なゴールを決めるなど、サポーターから愛されていた選手でもあった。 2003年、チームの退団を表明したあとの試合では活躍し、最後のホームゲーム(この試合で警告を受け、次節出場停止だったためこのゲームが実質上ラストゲームとなった)となった5月18日のベガルタ仙台戦では、終了間際にFKの流しから素晴らしいシュートで劇的な逆転ゴールを決め、勝利に貢献(ちなみにこのゴールは、Jリーグの8500ゴール目の記念ゴールであった)。この試合の後には、ヒーローインタビューを兼ねての即席でセレモニーも行い、最後に選手たちの胴上げで有終の美を飾った。 38歳を迎えた07-08シーズンは得点ランク上位に食い込んでいる。その活躍を受けて代表にも復帰した。 2008年6月12日、EURO2008においてそれまでの記録を4歳上回る大会最年長記録ゴールを決め、オーストリアに同大会における史上初の勝ち点をもたらした。 2009年5月18日、08-09シーズンをもって現役引退する事が発表された。 引退後はアマチュアチームを指導した後、2012年1月よりFKアウストリア・ウィーンの監督に就任したが、同年中に辞任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イヴィツァ・ヴァスティッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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