翻訳と辞書
Words near each other
・ ヴァレリー・バーティネリ
・ ヴァレリー・ブィコフスキー
・ ヴァレリー・ブラドフ
・ ヴァレリー・ブリューソフ
・ ヴァレリー・プレイム
・ ヴァレリー・ペクレス
・ ヴァレリー・ペドロ
・ ヴァレリー・ペリン
・ ヴァレリー・ボグダノフ
・ ヴァレリー・ポタペンコ
ヴァレリー・ポリャンスキー
・ ヴァレリー・マハフェイ
・ ヴァレリー・マリー・レネ・ジスカール=デスタン
・ ヴァレリー・マルコー
・ ヴァレリー・ミハイロヴィチ・ハリロフ
・ ヴァレリー・メザグ
・ ヴァレリー・ラグランジュ
・ ヴァレリー・ルトーノー
・ ヴァレリー・ルメルシェ
・ ヴァレリー・ルメルシエ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヴァレリー・ポリャンスキー : ミニ英和和英辞書
ヴァレリー・ポリャンスキー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヴァレリー・ポリャンスキー : ウィキペディア日本語版
ヴァレリー・ポリャンスキー[ちょうおん]

ヴァレリー・クジミチ・ポリャンスキー(ラテン文字表記の例:Valery Kuzmich Polyansky、1949年4月19日 - )は、ソビエト連邦ロシアの指揮者、合唱指揮者、音楽教師。モスクワ音楽院室内合唱団の創設者であり、同団の後継であるロシア国立シンフォニー・カペラ(オーケストラ合唱団の複合組織)の芸術監督兼首席指揮者を務める。モスクワ音楽院教授ロシア連邦人民芸術家(1996年授与)。ロシア連邦国家賞受賞者(1995年受賞)。
== 概要 ==
モスクワに生まれる。1967年にモスクワ音楽院附属音楽学校を卒業し、モスクワ音楽院に入学、合唱指揮をボリス・クリコフに、オペラ・交響楽指揮をオディッセイ・ディミトリアディに学ぶ。音楽院卒業後、更に研究科へと進み、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーに師事し、大きな影響を受ける。
音楽院在学中の1971年に、同校の生徒を中心としたモスクワ音楽院室内合唱団()を結成〔正確な結成年月日は公式サイト によれば1971年12月1日とされる。〕し、育成に務める。1975年にイタリアのアレッツォで開催された国際ポリフォニー合唱コンクールに同合唱団を率いて参加、最上位となり合唱指揮者として国外でも認められた。同合唱団のメンバーを中核とするソヴィエト国立文化省室内合唱団(、)が結成された後も、引き続き指揮者を務め、メロディアを中心にボルトニャンスキーチャイコフスキーラフマニノフなどのロシア合唱諸作品を録音している。
合唱指揮と並行して、オーケストラ指揮も精力的にこなし、合唱団設立と同じ1971年にモスクワ・オペレッタ劇場の指揮者陣に加わり、1977年まで活動、同年から1980年まではボリショイ劇場でも活躍した。
1992年、それまで師のロジェストヴェンスキーが指揮者を務めていたソヴィエト国立文化省交響楽団と、自らが率いるソヴィエト国立文化省室内合唱団が合併し、ロシア国立シンフォニー・カペラとして再編され、ポリャンスキーはその芸術監督兼首席指揮者の座に就いた。新たな組織となってからは、シャンドス・レーベルを中心に合唱作品を含む多くの録音を行っている。
ロシア国外では、特にスウェーデンヨーテボリでの活動が活発で、「エフゲニー・オネーギン」などオペラ指揮が高い評価を受け、同地の「オペラの夜」音楽祭の首席指揮者を務めている。
娘はピアニストのタチヤナ・ポリャンスカヤ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴァレリー・ポリャンスキー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.