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ヴァンクルタテヤマとは日本の元競走馬である。2008年プロキオンステークスなどダートの短距離重賞を4勝した。馬名の由来は「打ち破る(仏語)」に冠名。 近親に1985年天皇賞(秋)、1986年安田記念を制覇したギャロップダイナがいる。 == 戦歴 == デビュー以来ダート短距離路線に出走。脚部の弱さから順調にレースを使えず2歳から5歳までは13戦の出走に留まる。また、3歳時に後方からのレースを試みるも成果は無く、以降は先行からの戦法を取られ続ける。 2007年秋にオープン入り後休養を経て翌2008年プロキオンステークス、更に佐賀のサマーチャンピオンと重賞連勝を果たす。この連勝により秋の目標をJBCスプリントに定めた陣営は10月東京盃にて重賞3連勝を目論むも3着敗退。これにより収得賞金を加算できずJBCを除外となり秋のローテは白紙、暮れの新設重賞カペラステークスに登録はされたが出走は見送られ翌年以降に備え休養に充てられた。 翌2009年黒船賞直後、同馬を管理する安田伊佐夫調教師逝去に伴い兄弟子の武田博厩舎へと転厩。復帰2走目の栗東ステークスでは重賞ホルダーながら12番人気と一気に評価を下げたが休養明け2走目の変わり身を見せ僅差の2着と好走、続く北海道スプリントカップを10年ぶりのレコードタイムで優勝し3度目の重賞タイトルを獲得した。連覇のかかったサマーチャンピオンでは、前年自身が作ったレコードを更新し重賞4勝目を挙げた。続く東京盃ではバンブーエールの外でマークするようにレースを進めたが、直線で伸びを欠き2年連続で3着に敗れた。続く武蔵野ステークスでは先団でレースをしたが直線で失速し14着と大敗した。その後、暮れの兵庫ゴールドトロフィーに2番人気で出走したが4着に終わった。 2010年は前年同様黒船賞から始動したが10着と惨敗した。続く東京スプリントでも10着と大敗した。連覇がかかった北海道スプリントカップでは中団追走も伸び切れず5着に終わった。3連覇を懸けて臨んだサマーチャンピオンでは馬体重大幅減に加え、追走に脚を使ってしまい5着に敗れた。そして、9月8日付でJRA競走馬登録を抹消され現役を引退、JRA競馬学校で乗馬となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァンクルタテヤマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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