|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヴァンセーヌ(LE VINCENNES)は、かつて東京都渋谷区にあった料理店である〔見田盛夫『エピキュリアン 東京・関西フランス料理店ガイド』講談社、1995年、128ページ。ISBN 4-06-207506-7。〕。 1980年、パリのホテル・メリディアンで副料理長を務めていた〔酒井一之『シェフ』実業之日本社〈仕事――発見シリーズ⑫〉、1991年、152ページ。〕酒井一之が、「店の一切を任せる」との申し入れを受け、帰国して開店した〔『シェフ』198ページ。〕。酒井は開店時から従業員に米と醤油の使用を禁止し、フランス流の徹底を目指した〔『シェフ』215ページ。〕。当初の顧客は在日フランス人や、酒井のパリ時代の知人などが主体であった。あるとき来店したフランス人にクスクスを食べたいと求められ、材料を取り寄せて供したところ〔酒井一之『酒井一之の南仏プロヴァンス家庭料理』廣済堂出版、1995年、109ページ。ISBN 4-331-50467-0。〕、定番料理として定着し〔、このころから日本人客も増加していった〔。日本のクスクスはこの店から広まっていったとも言われる。 また、ヴァンセーヌが開店した時期は70年代にフランスで修業した料理人が帰国して店を持つ事例の多かった時期であった。酒井はこうした料理人らとの横のつながりの拡大にも積極的で、料理人の会「クラブ・デ・トラント」に所属し〔『外食レストラン新聞』1998年12月7日付。〕、事務局長も務めた。1991年11月には名誉会長に磯村尚徳、副会長に周富徳を迎え、毎月会食会を開催する「東京たべたべ会」が発足した〔「お店招待席 あの店この店 ここが売りもの>3< ヴァンセーヌ 渋谷 シェフの酒井さんはパリで修業 食材はパリ、日本の産地から直接仕入れ フランス人もお気に入りの仏レストラン」『日食外食レストラン新聞』1992年(平成4年)8月3日付6面。〕〔「この人 この仲間 酒井一之さんら 東京たべたべ会 美食を囲む「人の輪」 多彩な談義の花咲く」『日本経済新聞』1999年(平成11年)3月14日付52面。〕。 末期には後にミシュランの星付きシェフとなる松嶋啓介がホール係として働いていた〔井上俊樹「YOU館 自信でつかんだミシュラン一つ星 大宰府出身の仏料理シェフ・松嶋啓介さん(28) 「大事なのは素材」信条に」『毎日新聞』2006年(平成18年)6月24日付西部本社夕刊1面。〕。 1999年、酒井は独立してビストロ「パラザ」を開店し〔河崎妙子「ビストロ パラザ フランス料理(東京・千代田区) パリ風のクスクスが自慢」『日経流通新聞』1999年(平成11年)12月9日付13面。〕、ヴァンセーヌは閉店した。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァンセーヌ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|