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ヴァンダル族(Vandal)は古代末期にゲルマニアから北アフリカに移住した民族。ローマ領外の蛮族による民族移動時代にローマ領内へ侵入して北アフリカにまで進軍し、カルタゴを首都とするヴァンダル王国を建国した。彼らが北アフリカに進出する前に一時的に定着したスペインのアンダルシア(もともとはVandalusiaと綴った)や、破壊行為を意味するヴァンダリズムの語源ともなっている。 近代まではゲルマン系の部族と考えられていたが、現代ではポーランド地方のプシェヴォルスク文化に起源を持つスラブ系或いはイリュリア系民族であったと考えられている。 == ヴァンダル族の起源 == 19世紀の研究により、ヴァンダル族は全体としてプシェヴォルスク文化に属することが判明した。また、リュージイ族(ルギイ、Lygier、Lugier、Lygians)との関係も議論されており、リュージイ族()が後にヴァンダル族と呼ばれるようになったか、もしくはヴァンダル族は複数部族の連合体で、リュージイ族はその一つであるスラヴ系部族だったとするなど諸説ある。 スカンジナビア起源説によれば、のちにヴァンダル族のうちの一部を構成することになる部族は紀元前2世紀にバルト海を渡って現在のポーランド地域に到着し紀元前120年頃からシレジアに定住するようになったとされる。名前の類似性からノルウェーのハリングダール(Hallingdal)、スウェーデンのヴェンデル(Vendel)、デンマークのヴェンドシッセル(Vendsyssel)が彼らの故郷ではないかという意見が出されたことがあり、近世のゴート起源説ブームではヴァンダル族のスカンジナヴィア起源説が盛んに唱えられた。 400年から401年にかけて、おそらくフン族の侵入によって、王のもとヴァンダル族はスエビ族やサルマティア人のアラン族と一緒に西方への移動を開始した。シリンジイはのちに彼らに加わった。この頃、すでにハスディンジイはキリスト教化されていた。ゴート族の初期と同じように彼らも、イエス・キリストは父なる神と等しい存在ではないとするアリウス主義を取り入れていたが、イエス・キリストは神に最も近い存在として特別に創造されたものだとしていた。これは、ローマ帝国において主流であったキリスト教の信仰とは正反対のものであった。ヴァンダル族はドナウ川沿いに西方へと移動したが、ライン川にたどりついた辺りで、北ガリアにあるローマ帝国の属国にいたフランク族の抵抗にあった。この戦いによって、ゴディギゼル王を含めて2万人のヴァンダル族が死亡したが、アラン族の助けを借りてなんとかフランク族を負かすことができた。 406年12月31日、ヴァンダル族は凍結したライン川を渡り、ガリアに侵入した。ゴディギゼルの息子王率いるヴァンダル族は、ガリアの西や南へ略奪して回った。409年10月、ピレネー山脈を越えてスペインに入った。そこは、ローマ帝国から建国を許された土地であった。アラン族がポルトガルとカルタヘナ一帯を領有し、ヴァンダル族はガリシアとアンダルシアを得た。しかし、スエビ族がガリシアの一部を支配し続け、また西ゴート族がローマ帝国からフランス南部の土地を受け取る前にスペインに侵入し、ヴァンダル族やアラン族との紛争の原因となっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァンダル族」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Vandals 」があります。 スポンサード リンク
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