|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヴァーティゴ(Vertigo)とは、1960年代末にイギリスにおいて設立されたレコード・レーベルの名称。『Vertigo』(眩暈の意)の名が示すとおり、ロゴマークは渦巻き型のシンボル・マークで知られた。 ==歴史== ビートルズの登場とその成功以降、若手ミュージシャンやバンドが多数あらわれ大手レーベルはその確保に乗り出したが旧来のビジネス慣習から抜け出せず、ビートルズとの契約を逸したデッカ・レコードは1966年社内にデラム(DERAM)・レーベルを発足、格式を尊むデッカ部門の失敗を鑑みて新人ミュージシャンやバンドに柔軟な対応で契約を結ぶ受け皿とした。このような社内に別組織を立ち上げる対応の他、プロダクション などが増収を狙ってインディペンデント・レーベルを設立する動きがみられ、その運営形態は完全な独立のほか、大手レーベル傘下でプロダクションが独自レーベルを立ち上げたり、従来の商習慣とは異なり原盤制作などの費用負担とレコードの製造枚数を掌握する契約上の自主管理まで多様だった。 フィリップス・レコード(1972年からポリグラム)ではこの流れに沿ってプロデューサーオラブ・ワイパー(Olav Wyper)の進言から1969年傘下にヴァーティゴレーベルを設立した。既に系列でフォンタナ・レーベル部門がありおもにポップスを発表し、自立する前のアイランド・レコードから配給を受託していた。新レーベルでは差別化を図りおもにジャズ・ロック、ハードロック(当時は「ヘヴィ・ロック」と呼称)に隆盛を極めつつあったプログレッシヴ・ロックなどの最先端にあるロック音楽の紹介と販売で前衛的なレーベルイメージを立ち出した。 1969年から1975年まで、レコード盤レーベルのA面デザインはロゴマークを最大に拡大したものでこのレーベル・デザインに因んで「スパイラル・ヴァーティゴ~spiral vertigo(時代)」はレーベル初期を指す俗称でもある。第一弾でレコード番号「VO_01」はコロシアムのヴァレンタイン組曲で8枚目からレコード番号は「6360_000」に移行した(一部例外有り。)。ジャズ・ロックではマンフレッド・マンが解散後に新たなバンド、マンフレッド・マン・チャプターⅢ、イアン・カーのニュークリアスやキース・ティペット、ハード・ロックはブラック・サバス、ユーライア・ヒープが高い評価を得た一方、ジェントル・ジャイアントやコロシアムなど実験的音楽を志向する多くのバンドが作品を発表し、現在高値で取引されている作品も多い。この時期にはロッド・スチュアートも所属し(その後、姉妹レーベルのマーキュリー・レコードに移籍)、当時のレーベル・カタログではイギリス国内においても異色の存在が占めるなか、イアン・マシューズ(Iain Matthews en)ミッキー・ジャップ(Mickey Jupp en )のバンドであるレジェンド、もとマンフレッド・マンのポール・ジョーンズ(en)のソロ・アルバムなどフォーク、ブルース・ロックやロックンロール作品も発表されている。ヴァーティゴはフォンタナ・レーベル同様にプロダクションやインディペンデント・レーベルから受託配給していたものも多く、その一つにゲリー・ブロン(Gerry Bron en)のブロンズ・レコード創立に伴ってコロシアムとユーライア・ヒープは廃盤になりブロンズから再発された。 1970年代半ばになるとヴァーティゴは次第にレーベル・カラーを大衆向けに変え、ステイタス・クォー、シン・リジィ、グレアム・パーカー、クラフトワーク(英国盤)などの高い人気を誇るバンドを多数擁するようになる。 1980年を過ぎると規模が縮小されたが、現在でもメタリカやダイアー・ストレイツをはじめとする、各バンドのイギリスにおける配給元として機能している。親会社であったフィリップスは現在ユニバーサル ミュージックに併合されているため、ヴァーティゴの音源がユニバーサルから発売されることもある。 また日本フォノグラムから発売された邦楽作品にも、ヴァーティゴ・レーベルが使用されたものがある(成毛滋のフライド・エッグ、長谷川きよし『黒の舟唄』など)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァーティゴ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Vertigo Records 」があります。 スポンサード リンク
|