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ヴァード作戦 (Opération Vado) は、第二次世界大戦中の1940年6月14日に実施されたフランス海軍地中海艦隊による軍港ジェノヴァを中心としたイタリア本土への攻撃である。 == 背景 == 当時はドイツによるフランス占領、アフリカ北西部の占領が完了していたが、ドイツによるバルカン半島侵攻、独ソ戦はまだ始まっていない。この時、地中海を挟んでフランスと対峙していたイタリアは6月10日に枢軸側に立ってフランスとイギリスに宣戦布告した。イタリアの目的はフランスが降伏する前にフランスの領土を獲得する事であった。そのため、フランスがドイツにより弱体化した時期を見計らって参戦したのであった。 これに対し、フランス陸軍はイタリアとの国境に近い箇所に残存兵力を輸送し侵攻に備え、フランス海軍は非活発なドイツ海軍をフランス大西洋艦隊に任せ、イタリア海軍への対抗として仏領アルジェリアメルセルケビール軍港に高速戦艦「ダンケルク級」2隻を擁する第1艦隊(第1戦艦戦隊、第4巡洋艦戦隊、第2軽戦隊および空母ベアルン)を待機させ、旧式ながら有力な火力を持つ戦艦「ロレーヌ」を英領アレキサンドリアに派遣した。イタリア参戦時にはトゥーロンに第3艦隊(第1巡洋艦戦隊、第2巡洋艦戦隊、および第3軽戦隊)、アルジェに「プロヴァンス級」2隻から成る第2戦艦戦隊と巡洋艦戦隊2隊があり、他に仏領チュニジアのビゼルトに潜水艦戦隊6隊が派遣されてイタリアを迎え撃つ態勢であった。超弩級戦艦5隻、巡洋艦10隻、大型駆逐艦28隻、汎用駆逐艦20隻、潜水艦58隻を数える有力な勢力を布陣した。 これに対し、この時期のイタリア海軍の主要艦艇は戦艦5隻、重巡洋艦7隻、軽巡洋艦12隻、潜水艦108隻であったが、主力艦である戦艦のうち実戦可能なのは近代化改装が終了したばかりのコンテ・ディ・カブール級2隻と超弩級戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級「ヴィットリオ・ヴェネト」の3隻でしかなく、更にヴィットリオ・ヴェネトは5月に完成したばかりで艦は多くの手直し箇所を抱えており、将兵の訓練も未了で戦力に数えられなかった。 イタリアの参戦に対し、フランス海軍はイタリア海軍の出鼻をくじくために大胆にもイタリア本土への艦砲射撃を企画した。フランス海軍は5隻の超弩級戦艦を有していたが、フランス海軍総司令官フランソワ・ダルラン元帥 (François Darlan) は攻撃に必要なのはスピードだと考え、艦砲射撃に用いるのは高速の重巡洋艦を中心に戦力を編成した。これにより戦隊速力は最低でも31ノットで充分に高速であった。 攻撃目標はジェノヴァおよびサヴォーナ周辺であり、第3艦隊司令長官エミール・デュプラ中将を指揮官に前者には重巡洋艦「デュプレクス」、「コルベール」、第7駆逐隊(駆逐艦アルバトロス、ヴォートゥール)、第3駆逐隊(駆逐艦ゲパール、ヴァルミ、ヴェルデュン)が、後者には重巡洋艦「アルジェリー」、「フォッシュ」、第1駆逐隊(駆逐艦ヴォーバン、リヨン、エーグル)、第5駆逐隊(駆逐艦タルテュ、シュヴァリエ・ポール、カサール)が向かった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァード作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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