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ヴィクトル・トロイキ : ミニ英和和英辞書
ヴィクトル・トロイキ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ヴィクトル・トロイキ ( リダイレクト:ビクトル・トロイツキ ) : ウィキペディア日本語版
ビクトル・トロイツキ

ビクトル・トロイツキViktor Troicki, , セルビア語発音:  ,1986年2月10日 - )は、セルビアベオグラード出身の男子プロテニス選手。これまでにATPツアーでシングルス3勝、ダブルス1勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス12位、ダブルス49位。身長193cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。彼の姓については「トロイキ」の表記揺れも多く見られる。
2008年全仏オープン男子ダブルスベスト8。2011年モンテカルロ・マスターズベスト8。2010年の男子テニス国別対抗戦・デビスカップで、セルビア・チームを初優勝に導いた選手の一人。
== 来歴 ==
トロイツキは父親がロシア移民の家系である弁護士、母親は経済学者という家庭に生まれ、5歳からテニスを始めた。ジュニア時代の2004年ウィンブルドンジュニア男子ダブルス部門でロビン・ハーセオランダ)と組んだ準優勝がある。2006年にプロ入り。ツアー下部大会で順調に世界ランクを上げていった彼は、同年10月のジャパン・オープンATPツアー大会にデビューした。予選を勝ち抜いて本戦出場権を獲得すると、1回戦でフェルナンド・ビセンテスペイン)をフルセットで破り、2回戦で第1シードのロジャー・フェデラースイス)に 6-7, 6-7 のスコアで惜敗した。
2007年は前年に引き続き下部大会を回ったが、ツアー出場4戦目となったクロアチアウマグ大会において躍進を見せる。この大会においても予選から本戦出場を果たし、本戦2回戦で大会第1シード世界ランキング3位の同国人選手ノバク・ジョコビッチを 2-6, 6-4, 7-5のフルセットで下して勢いに乗る。続く3回戦もストレートで勝利し、アンドレイ・パベルルーマニア)との準決勝まで駒を進めた。
2008年全豪オープンで4大大会初出場を果たし、2月には男子国別対抗戦デビスカップのセルビア代表に初選出される。4月にはツアー下部大会のバミューダチャレンジャー決勝で錦織圭日本)と対戦し、トロイツキは 6-2, 5-7, 6-7 のスコアで錦織に敗れた。6月の全仏オープンではダブルスで好成績を収め、同じセルビアの先輩選手ヤンコ・ティプサレビッチとのペアでベスト8に進出している。8月にはアメリカワシントンD.C.大会において1回戦で世界9位のアンディ・ロディックを倒した上、自身初のツアーシングルス決勝に進出し、フアン・マルティン・デル・ポトロアルゼンチン)に 3-6, 3-6 のスコアで敗れた。
トロイツキは2009年にさらなる躍進を見せ、全豪オープン2回戦・全仏オープン2回戦進出を経て、ウィンブルドンで初めて「第30シード」に選ばれた。ウィンブルドンの3回戦では、第3シードのアンディ・マリーに 2-6, 3-6, 4-6 のストレートで敗れた。
2010年はジャパン・オープン準決勝で世界ランク1位のラファエル・ナダルに、マッチポイントを取りながら 6-7, 6-4, 6-7 で惜敗した。10月のクレムリン・カップでは決勝でマルコス・バグダティスに 3–6 6–4, 6–3 で勝利してシングルスツアー初優勝を果たした。12月にベオグラードで開催されたフランスとのデビスカップ決勝では、ネナド・ジモニッチと組んだダブルスでアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組に 6-3, 7-6, 4-6, 5-7, 4-6 の逆転負けを喫したが、2勝2敗で迎えた最終試合でトロイツキはロドラを 6-2, 6-2, 6-3 で破り、セルビアは悲願の初優勝を果たした。
2011年全豪オープンでは、同じセルビアのノバク・ジョコビッチとの3回戦を途中棄権したが、全仏オープンでは、3回戦でアレクサンドル・ドルゴポロフに 6-4, 3-6, 6-3, 6-4 で勝利して4大大会初の4回戦に進出した。4回戦はアンディ・マレーに 6-4, 6-4, 3-6, 2-6, 5-7 の逆転で敗れた。全仏オープン後のランキングで自己最高の12位を記録している。10月のクレムリン・カップでは2年連続で決勝に進出したが、決勝で同じセルビアの親友ヤンコ・ティプサレビッチに 4–6, 2–6 で敗れ大会連覇を逃した。
2012年のロンドン五輪でオリンピックに初出場した。シングルス1回戦でスペインニコラス・アルマグロに 4-6, 6-7(7) で敗れた。
2013年7月に4月のモンテカルロ・マスターズで血液検査に応じなかったとして1年半の出場停止処分を受けた。トロイツキは血液検査は不要と説明されたと訴えており、スポーツ仲裁裁判所に異議を申し立てたが、6カ月短縮に
留まり1年間の出場停止となった。
2014年7月のスイス・オープン・グシュタードからツアーに復帰した。
2015年1月のシドニー国際では予選から勝ち上がり決勝でミハイル・ククシキンを 6–2, 6–3 で破りATPツアーシングルス2勝目を挙げた。9月の深センオープンでは2回戦で世界ランキング5位のダビド・フェレールを6–3, 6–4で倒した。
2016年はディフェンディング・チャンピオンとして臨んだシドニー国際でグリゴール・ディミトロフを2-6, 6-1, 7-6(7)で破り連覇達成。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビクトル・トロイツキ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Viktor Troicki 」があります。




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