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ヴィシー政権(ヴィシーせいけん、)は、第二次世界大戦中における、フランスの政権(1940年 - 1944年)。フランス中部の町、ヴィシーに首都を置いたことからそう呼ばれた。「ヴィシー政府」、「ヴィシー・フランス」ともいい、この政権下の体制を「ヴィシー体制」と呼ぶ。正式国名はフランス国(État français、エタ・フランセ)。 == 歴史 == === 成立 === 1940年6月にドイツ軍のフランス侵攻でフランスは敗北した。ポール・レノー首相ら抗戦派にかわって和平派が政権を握り、6月17日に副首相であったフィリップ・ペタン元帥が首相となった。6月21日、ペタンの政府はドイツとイタリアに対し休戦を申し入れた。6月22日には独仏休戦協定が締結され、フランス北部などの地域の占領、陸軍の制限などが定められた。協定はフランス側にとって過酷であったが、主権国家としてのフランス政府存続は達成された。ペタンは「少なくともわが国の名誉だけは守られた」〔渡辺(1994)p.78〕と述べた。ペタンはフランス国民の熱狂的な崇拝対象となり、町中に元帥の肖像が溢れた。ジャン・コクトーはこの熱狂を「元帥は大衆が慣れ親しんでいた君主のイメージに近かった。それにフランスでは高齢はひとを安心させる。彼は瘰癧(るいれき〔"頸部リンパ節結核"の古称。〕)を癒しかねなかった(ロイヤル・タッチ)。」と評している〔渡辺(1994)p.85-86〕。 抗戦継続派のレノーやアルベール・ルブラン大統領はカサブランカに逃亡しようとしたが身柄を拘束された〔大井、770-771p〕。またレノー政権の国防次官でペタンの部下でもあったシャルル・ド・ゴール准将はロンドンに亡命し、「自由フランス」を結成した。 フランス政府は1940年7月1日に臨時首都に指定していたボルドーから中部の都市であるヴィシーに移転した。政府主席兼首相には、第三共和政最後の首相で第一次世界大戦の英雄であったペタン元帥が就任し、副首相にはピエール・ラヴァルが就任した。ラヴァルはヒトラーから好意的な扱いを受けるためには、「堕落した民主主義」を廃して「絶対的権力を持つ権威国家」を樹立する必要があると考え、熱心にロビー活動を行った。6月25日、ラヴァルは次のように演説している。「旧秩序、フリーメーソン的かつ、資本主義的そして国際的妥協の政治制度が現在の立場に我々を導いた。フランスは、もはやそんなものを欲しない。我々は新しい計画、新しい人物を必要とする」〔児島、190P〕。また、新憲法制定の議会では「全ヨーロッパがフランスを置き去りにして新世界を建設しようとしている(中略)敗北した議会制民主主義は大胆で、権威的・社会的・国家的新制度にその道を譲らねばならぬ。(中略)議会が同意しないなら、ドイツは直ちにフランス全土を占領して(政治改革を)強制するだろう」〔児島、193P-194P〕と演説している。7月2日、フランス艦隊の編入もしくは無力化を狙ったイギリスは、カタパルト作戦によるフランス艦隊の接収を図った。このためイギリスとフランスの間でメルセルケビール海戦が勃発し、政府とフランス国民の間で反英感情が高まった。このことはラヴァルの工作をより容易にした。 後にこの動きを知ったヒトラーは、国防軍最高司令部長官カイテル元帥と次のような会話をしている。「フランスが我がナチズムを信奉しているとは知らなかったな」「そうと知ったら攻撃の必要はありませんでした。まるで同士討ちをした想いです」〔児島、194P。ただし、ナチズムは蔑称であり、原語は「Nationalsozialismus」(国民社会主義)である。〕。 7月10日、ヴィシーで開催された国民議会は圧倒的多数で新憲法制定までの憲法的法律を制定した。その内容は「『フランス国(État français)』の新しい憲法を公布することを目的として、ペタン元帥の権威のおよび署名の元にある共和国の政府に全ての権限を与える」というものであった〔村田、一、177-178p〕。ペタンは強大な権限を持つこととなったが、実際の政治は副首相であるラヴァルが大半を行っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィシー政権」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Vichy France 」があります。 スポンサード リンク
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