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ヴィドー家(仏: Widonides, 伊: Guidoni, 独: Guidonen, Widonen, 英: Guideschi, Guidoni, Vitone, Widonids)は、9世紀頃活躍したブルグント出身のイタリア貴族の家系。グイード家、また主な当主の名からギー=ガルニエ=ランベール家〔A.ルゴレエル、p.15には、ガルニエ=ギ=ランベール家、瀬原、p.142にはヴィドーネン・ランベルティナー家とある〕などともいわれる。7~8世紀にモーゼル川流域発祥で〔瀬原、p.142〕、アウストラシア出身のナント伯でブルターニュ辺境伯〔柴田 他、p.159〕のギーを祖とする。9世紀初めにイタリアに入り、840年代までにはスポレートを奪い取りスポレート公となった。一族は教皇領内で権力を伸ばし、皇帝には忠実であったが、教皇とは敵対関係にあった。また、女系でカロリング家とつながっており、イタリア王およびローマ皇帝を出した。 ナント伯ランベール1世の息子グイード1世は842年、皇帝ロタール1世によりスポレート公とされた。彼はイタリアで活動し、ベネヴェント公シコーネ1世の娘イッタと結婚した。子孫は897年までスポレート公の地位にあり、グイード4世はベネヴェント公も兼ねた。同家で最も有名な人物は、グイード3世とその息子ランベルト2世で、イタリア王およびローマ皇帝となった。 のちにアンジュー伯フルク1世赤顔伯は、898年に同家の子孫ロッシラと結婚し、それによりアンジュー伯領を得たとされる〔A.ルゴレエル、p.15-16〕。また、のちに神聖ローマ皇帝を出したザーリアー家は、モーゼルに残った同家の子孫とされる〔瀬原、p.142〕。 == 系図 == ;凡例 * :ローマ帝・イタリア王 * :スポレート公 * :ナント伯 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィドー家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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