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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヴィニー・アピス(Vinny Appice 、1957年9月13日 - )は、アメリカのロック・ドラマー、作曲家。ブラック・サバス、ディオなどでの活動で有名。ヴァニラ・ファッジ、ベック・ボガート & アピス、キング・コブラ等で活躍したカーマイン・アピスの実弟。 == キャリア == 出身はニューヨークのブルックリン区。イタリア系の一家に生まれる。兄カーマインの11歳下の弟。9歳の時にドラムに出会い、兄カーマインと同じドラム講師に師事した。 16歳の時、彼と彼のバンドBOMFは、レコード・プラント・スタジオでジョン・レノンと出会い、レノンのレコーディングを手伝う。 その後、リック・デリンジャーと合流し、デリンジャー名義でDerringer(1976), Sweet Evil (1977), Derringer Live (1977)に参加した。 1978年、デリンジャー時代の同僚、ダニー・ジョンソン(G,Vo、後にスティーヴ・ヴァイの後任としてアルカトラスに参加)、ジェイ・デイヴィス(B,Vo)とともに、ハード・ロック・トリオAXISを結成、アンディ・ジョーンズのプロデュースでIt's a Circus Worldをリリース。 1980年、ツアー序盤でアルコール中毒のため離脱したビル・ワードの後任としてブラック・サバスのHeaven and Hellツアーに合流。ここでヴィニーを気に入ったロニー・ジェイムス・ディオがグループおよび本人に正式加入を強く働きかけ、そのまま正式メンバーとなる。 ブラック・サバスでは『悪魔の掟(Mob Rules)』 (1981年),『ライヴ・イーヴル (Live Evil)』 (1982年)にそのプレイを残す。 1982年後半にブラック・サバスを脱退し、ロニーとともにディオの設立に参加。Holy Diver (1983), The Last in Line (1984), Sacred Heart (1985), Intermission (1986), Dream Evil (1987)に参加したが、1989年12月にグループを去る。 ディオ在籍中の1985年には、バンド・エイドに始まった数あるチャリティープロジェクトのひとつとしてロニーが音頭をとって実現した、「ヘヴィメタル版バンド・エイド」ヒア・アンド・エイド(Hear 'n Aid)にも参加、アルバム「スターズ(STARS)」のレコーディングでクワイエット・ライオットのフランキー・バネリとともにドラムスを担当した。 1990年にはWorld War Ⅲに参加。 1992年、ディオとともにブラック・サバスに復帰し、『ディヒューマナイザー(Dehumanizer)』(1992)のレコーディングとツアーに参加。 1993年には再びロニーとともにディオを再興。Strange Highways (1994)とAngry Machines (1996)をレコーディング。 2005年にはCircle of Tyrantsのレコーディングに参加したほか、アレックス・スコルニックとも仕事をした。 2006年の『ベスト・オブ・ディオ・イヤーズ(Black Sabbath: The Dio Years)』の制作を契機に再集結した元ブラック・サバスのメンバー(トニー・アイオミ、ギーザー・バトラー、ロニー・ジェイムス・ディオ、ヴィニーの4人)でヘヴン・アンド・ヘルを結成し、2009年4月28日にアルバム『ザ・デヴィル・ユー・ノウ(The Devil You Know )』をリリース、ビルボードアルバムチャートの8位にランクされる。 2009年10月にはSin City Sinnersとともにラスヴェガスでの2回のショウでプレイした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴィニー・アピス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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