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ヴィラール・ドヌクール : ミニ英和和英辞書
ヴィラール・ドヌクール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヴィラール・ドヌクール ( リダイレクト:ヴィラール・ド・オヌクール ) : ウィキペディア日本語版
ヴィラール・ド・オヌクール[ちょうおん]

ヴィラール・ド・オヌクールVillard de Honnecourt(慣用。フランス語)。ulardus d' hunecort〔 ;#図版29上部のラテン語表記による。〕、Wilars dehonecort〔; #図版2の13世紀ピカルディー語の名乗りによる。〕とも、生没年不詳)は13世紀フランスの建築家、芸術家。
建築関連分野の人物による、ゴシックを扱った中世最古の現存する文献、通称『画帖(アルバム、スケッチブック)』の作者としてその名が残っている〔「この種のもので, 15世紀以前のものは他に残存するものはない」。「ゴシック建築に関する当時の手稿本でほとんど唯一最古・最大」。ほかに類似の書物も存在するが、ザンクト・ガレン修道院の計画図はカロリング朝時代の9世紀なので成立年代は早いがゴシック建築のそれではないため、また、11世紀前半 - 12世紀前半のいずれかに成立した技法書『さまざまの技能について』もあるがこれもロマネスクのそれでありかつ内容についても建築技術への言及もない。さらにウィトルウィウスの『建築書』は初版が紀元前であり、現存最古の写本も9世紀のものであるため「ゴシックを扱った」と限定した。〕。この『画帖』は美術、建築のみならず動植物や機械など、その採録図柄の広さからゴシックのエンサイクロペディアとも評される〔。ここでの言及はの引用。〕。
ヴィラール自身は一次資料が『画帖』しか存在しないゆえに、その出自や職業は研究者たちの推測に拠ってなされているのみである〔西田が指摘するように「『画帖』以外に知られることがない人物」であり、「おそらくは建築にも造詣の深い人物であったと考えられている」との表現に留める例もある。〕。本項目では前半でヴィラール本人について、後半では『画帖』について解説する。
なお、日本語ではヴィラール・ドヌクールと表記される場合もあるが、本項では以降ヴィラールのみの表記で統一する。
== 生涯 ==
生年は明らかではないが、12世紀の末ごろにカンブレーの南、オヌクールに生まれ、近隣のヴォーセル (:en:Vaucelles)のシトー会修道院で建築家としての教育を受けたと考えられている〔。ヴィラールが著したとされる『画帖』に描かれた幾何学などの知識はシャルトルパリの大学で学んだかもしれない。その後はヨーロッパの各地を遍歴し、またいくつかの聖堂の工事に携わったと目されている。訪れた土地は『画帖』に残された各地の聖堂平面図や図像に併記されたキャプションなどから推測されたもので、ランスラン、シャルトル、モーなどフランス国内各地、さらにはローザンヌや、ドイツを経由してハンガリーにも行ったと見られる〔; 〕。ハンガリー行きはランス滞在中に招待を受け〔;#図版20。〕、幾日も滞在したと『画帖』にも記されている〔; #図版30の記載。〕。恐らくカンブレーでは大聖堂建築に携わったであろうと広く考えられており〔; 、カンブレーに現存するヴィラールの像には「1230年 - 1246年にかけて建てられた(略)大聖堂旧内陣の建築家」とある。 〕、ハンガリーのコシツェの聖エリザベート大聖堂英語版を建設した、あるいは関与したという見解もある〔; 〕。一方で、このハンガリーの聖堂については建設年代との整合性に疑問が指摘され、むしろマリボルのかつての聖堂ではないかとも考えられている。
このような遍歴の中で興味を抱いた建築物、彫刻や動植物などを将来の参考にしようとメモしたものが『画帖』であり〔; 。将来の参考を企図したことはにも記述が見られる。〕、この作業は早ければ1220年ごろ、遅くとも1230年ごろに始められ、1200年代の中ごろに一旦の完成をみたと考えられている。
ヴィラールに限らず当時の建築家全般の特徴ともされるが、『画帖』に見られるように彼の興味の範囲は建築のみならずデザイン、幾何学、工学、薬学など幅広かった。また、次世紀に発達するギルドとは違ってヴィラールはこれらの知識を特に秘匿しようとはせず〔; 〕、次世代への教科書として参照してもらおうという意図があったように考えられている〔; 〕。
死去の年代もはっきりとしないが、13世紀中ごろに『画帖』を残して死去したと考えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴィラール・ド・オヌクール」の詳細全文を読む




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