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ヴェリコ・カディイェヴィッチ(セルビア・クロアチア語: 1925年11月21日 - )は、ユーゴスラビアの軍人。最終階級はユーゴスラビア人民軍地上軍元帥〔〕。1988年から1992年の辞任までユーゴスラビア社会主義連邦共和国における国防大臣の職にあり、十日間戦争及びクロアチア紛争初期における事実上のユーゴスラビア人民軍総司令官であった。 ==経歴== カディイェヴィッチはセルビア人の父とクロアチア人の母の元、ユーゴスラビア王国(現在はクロアチア共和国領)のイモツキにあるGlavina Donjaという小さな村で生まれた。父と母の民族が異なるが、彼自身は「ユーゴスラビア人」を自称した。1942年、彼はユーゴスラビア共産党の党員となり、軍事部門である人民解放軍(いわゆるパルチザン)の一員として第二次世界大戦におけるユーゴスラビア戦線に従軍した。戦後もユーゴスラビア人民軍の軍人として現役に留まり、1963年にはアメリカ陸軍の指揮幕僚大学に留学・卒業している。 カディイェヴィッチはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の第5代防衛大臣に就任した。ユーゴスラビア共産主義者同盟が解体された後、彼は共産主義者同盟ユーゴスラビア運動なる後継組織の創設者の1人となった。1991年5月、彼は連邦共和国の閣僚に対する公的な声明の中で「平和の確保に失敗した。ユーゴスラビア軍はより効率的にそれが出来るはずだった」と述べた。その後、彼は全ての役職を辞して軍も退役し、セルビアに隠居した。 2001年春、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)はカディイェヴィッチへの接触を図った。彼は証人としての召喚を受けたが、翌日にはモスクワへと逃れていた彼はロシア政府当局に対して難民としての申請を行い、メドベージェフ大統領による承認によって、2008年8月13日には正式にロシア連邦共和国における市民権を獲得した〔 УКАЗ Президента РФ от 13.08.2008 No 1219 〕。2008年にはモスクワにて生活していた事が確認されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴェリコ・カディイェヴィッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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