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ヴォイチェフ・イエジー・ハス (Wojciech Jerzy Has, 1925年4月1日 - 2000年10月3日) は、ポーランドの映画監督。日本ではヴォイチェフ・ハス、ヴォイチェフ・J・ハス、ヴォイチェフ・イェジー・ハスとも表記される。 == 来歴 == 1925年4月1日、クラクフで生まれた。父親はユダヤ人、母親はカトリック教徒。ハスは自身を不可知論者とした。 ナチスがポーランドを占拠した第二次世界大戦中、ハスはクラクフの実業学校に通い、その後はクラクフ芸術アカデミーの地下クラスを受講していたが、同校は1943年に解散した。 1947年に短編ドキュメンタリー『''Ulica Brzozowa''』を製作して映画監督としてデビュー。1949年から1956年までワルシャワ記録映画スタジオとウッチ教育映画スタジオで10本以上の短編映画を製作した。 1958年、初の長編劇映画となった『縛り首の縄』を発表。同年製作した長編2作目の『''Pozegnania''』は翌1959年のロカルノ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。以後、アンジェイ・ワイダやイェジー・カヴァレロヴィチ、アンジェイ・ムンクらと並んでポーランド派の映画監督として知られるようになった。 1963年、第二次世界大戦中のクラクフを舞台にした心理劇『愛される方法』を発表。第16回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、サンフランシスコ国際映画祭ではグランプリ、脚本賞、女優賞を受賞した。1965年、それまでの心理主義的な作風を一転させた歴史ファンタジー『サラゴサの写本』を発表。ルイス・ブニュエルなどから絶賛され、今日では1960年代ポーランド映画の代表作として知られる。1973年、ブルーノ・シュルツの小説を映画化した『砂時計』を発表。第26回カンヌ国際映画祭で審査員賞を、翌1974年にはトリエステSF国際映画祭でグランプリを受賞した。 1983年、チェーホフの小説を原作とした『''Osobisty pamietnik grzesznika przez niego samego spisany''』を発表。10年ぶりに映画監督として復帰した。1988年の『''Nieciekawa historia''』は第45回ヴェネツィア国際映画祭に出品された。 1989年、ウッチ映画大学の学部長に就任。翌1990年から1996年までは同大学の学長を務めた。また、1992年と2000年にはプロデューサーとして2本の長編映画を手がけた。1999年、ポーランド映画賞の生涯功労賞を受賞した。 2000年10月3日、ウッチにて75歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴォイチェフ・イエジー・ハス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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