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ヴォノネス1世 : ウィキペディア日本語版
ヴォノネス1世[う゛ぉのねす1せい]

ヴォノネス1世(、コイン銘:ΟΝΩΝΗΣ、? - 19年、在位:西暦6年 - 12年)は、アルサケス朝パルティアの王(諸王の王、バシレウス・バシレオン)。ローマに人質として送られ、後に帰国して王位についたが「ローマの傀儡」と見なされて国内の支持を得られず王座を追われた。
== 来歴 ==

=== ローマ時代 ===
フラーテス4世と妻の1人ビステイバナプスの間に生まれた。父王フラーテス4世はローマ皇帝オクタヴィアヌスと講和を結んだが、その際イタリア出身の女奴隷ムサを新たに妃として迎えた。そして人質としてヴォノネスは母ビステイバナプスと3人の兄弟とともにローマへ送られた。オクタヴィアヌスはヴォノネスらを客人として迎え、不自由ない生活を送らせた。ローマで成長したヴォノネスはローマ風の習慣や教養を身に付けていった。
パルティアではフラーテス4世が妻ムサに暗殺され、フラーテス4世とムサの間の息子、フラーテス5世(フラータケス)が即位した(西暦2年)。しかしフラーテス5世は大貴族達の支持を受けることができず西暦4年に追放され新たにオロデス3世が王位についた。しかし彼も国内の支持を得る事に失敗し、西暦6年に暗殺された。こうしたパルティア王位継承の混乱の中で、バビロニアでは反オロデス3世派が蜂起しており、彼らはローマにヴォノネスを返還するように求め、これを受けたオクタヴィアヌスによってヴォノネスはパルティアに帰国しヴォノネス1世として即位した(西暦6年)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴォノネス1世」の詳細全文を読む




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