|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヴォルィニャーネ族(、、)は東スラヴ民族の中の部族または部族連合の1つである。10世紀末から11世紀初頭にかけて、ブク川(西ブーフ川)上流とプリピャチ川河口に住んでいた。 ==概要== ヴォルィニャーネ族に関する年代記の言及としては、『原初年代記』の冒頭の、種々の民族が列挙されている中に、「ドゥレーブィ族はブク川沿いに住んでいたが、今そこにはヴォルィニャーネ族がいる」という趣旨の記述がある〔國本哲男『ロシア原初年代記』p12〕。何人かの歴史家は、ヴォルィニャーネ族とブジャーネ族はドゥレーブィ族の子孫とみなしている。アラブの地理・歴史家のマスウーディーは、10世紀後半にヴァリナナとドゥラバという部族について報告しているが、このヴァリナナはヴォルィニャーネ族、ドゥラバはドゥレーブィ族のことだとみなされている。 ヴォルィニャーネ族の主要都市はヴォルィーニ(ru)とウラジーミル・ヴォリンスキーだった。考古学的研究によって、ヴォルィニャーネ族の元で農業開発が行われ、鍛造・鋳造・陶芸によるものを含む多くの工芸品が作られていたことがわかっている。 981年、キエフ大公ウラジーミル1世は、ポーランド王国領だったチェルヴェンの諸都市を占領した〔國本哲男『ロシア原初年代記』p95〕。歴史家は、これはヴォルィニャーネ族のキエフ大公国への加盟と関連すると考えている。988年にウラジーミル1世はウラジーミル・ヴォリンスキーに、息子のフセヴォロドを公として据えた〔國本哲男『ロシア原初年代記』p134〕。それはヴォルィーニ公国の始まりでもあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴォルィニャーネ族」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|