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ヴォルフハルト・パネンベルク(Wolfhart Pannenberg, 1928年10月2日 - 2014年9月5日)は、ドイツの神学者。ルター派出身で、エーバーハルト・ユンゲル、ユルゲン・モルトマンとともに、カール・バルト、ルドルフ・カール・ブルトマン以後の世代を代表する。希望の神学の流れを汲みつつ、独自の歴史の神学を展開した。 == 経歴 == シュテッティン(現ポーランド領シュチェチン)に生まれる。税関吏の父親は転勤が多く、1942年にはベルリンに引っ越している。幼児洗礼は受けたものの、すでに両親は教会から距離を取るようになっていたため、家庭には特にキリスト教の雰囲気はなかった。また、10代の頃からフリードリヒ・ニーチェの思想に親しみ、キリスト教に対して批判的な考えを持っていた。しかしその後、ニーチェが批判するキリスト教とは異なるキリスト教を発見し、神学を志すようになった。1944年に軍隊に入り、1945年には短期間であるがイギリスで捕虜生活を体験している。 ベルリン大学、ゲッティンゲン大学、ハイデルベルク大学で神学を学び、バーゼル大学のバルトのところに留学もしている。ハイデルベルク大学では、フォン・ラートの門下生たちと「パネンベルク・グループ」を形成する。メンバーは、パネンベルクのほか、R・レントルフ、T・レントルフ、ウィルケンス、K・コッホ、D・レスラー、M・エルゼなど。 パネンベルク・グループによる論文集『歴史としての啓示』以来、パネンベルクは独自の歴史神学を展開しているが、同時に神学の学問性という問題にも取り組み続け、新しい自然神学の可能性を探究している。 1953年、エドムント・シュリンク(1903年 − 1984年)の指導の下で博士論文『ドゥンス・スコトゥスの予定説』を執筆し、それによって学位を取得した。その後、ハイデルベルク大学の講師となり、ヴッパータール神学大学(1958年 - 1961年)、マインツ大学(1961年 - 1967年)、ミュンヘン大学(1967年 - 1994年)で組織神学教授を歴任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴォルフハルト・パネンベルク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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