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ヴォー村 : ミニ英和和英辞書
ヴォー村[ヴぉーむら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [むら]
 【名詞】 1. village 

ヴォー村 : ウィキペディア日本語版
ヴォー村[ヴぉーむら]

ヴォー村(ヴォーむら)は、フランス基礎自治体コミューン)のひとつで、フランス海外領土太平洋ニューカレドニア北州にある村である。
「ハート オブ ヴォー」の名で知られる、上から見ると巨大なハートの形に見える植物の航空写真で有名になった。撮影者であるカメラマンのヤン・アルテュス・ベルトランは、自身が出版する本の表紙にこの写真を用いて話題を広めることに貢献した。
ヴォー村はまた、ニッケルを産出するコニアンボ鉱山から最寄の大きな居住地であり、チャンダンと呼ばれる季節労働者のベトナム人鉱夫が1800年代から1940年代まで住んでいた。
1996年の人口統計によると諸民族の構成は、先住民族「カナック」が67.4%、ヨーロッパ系民族 25.2%、ポリネシアン 2.8%、その他 5.1%となっている。
== フランスによる植民地の設立 ==
1865年、カナックの戦士たちは近くで砦を建設する労働者を殺害し、砦が1869年に放棄されるといった衝突ののち、1891年、フランス政権は、ヴォー村をフランスからの自由な移民に適した場所であると定め、カナック民が自発的に放棄したとされる川の右岸の土地を農業のために割り当て、道もない約950ヘクタールの土地を住宅と耕作地、放牧に区分けした。1892年後半までには、ジョルジュ・ワイス、ジャン=フランソワ・ジョクトー、アレクサンドル・ポロとクロード・ルーソン、ジャン=バティスト・ミランドンと前陸軍士官パンクラス・メナールとマリン・ポンセを含む23人のヨーロッパ人が到着し、耕作を始めた〔''La France australe'', 25 juillet, 1892.〕。入植地は、後に川の左岸に拡大。そして1894年にポール・フィレット知事が訪れ、演説で入植の成功を強調した。現在では、より持続可能なコーヒー生産への転換がおこなわれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴォー村」の詳細全文を読む




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