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ヴャズニキ(;)はロシア連邦ヴラジーミル州の東部にある都市。オカ川の大きな支流・クリャージマ川の右岸に建ち、州都ウラジーミルからの距離は東へ120km。 モスクワとニジニ・ノヴゴロドを結ぶ鉄道(1862年開業)が通る。モスクワからの距離は315km。シベリア鉄道へ向かう列車の多くがこの路線を通過する。またモスクワ-ニジニ・ノヴゴロド-カザン-ウファを結ぶ高速道路M7(欧州高速道路22号線の一部)も通っている。人口は40,398人(2002年国勢調査)。'';)はロシア連邦ヴラジーミル州の東部にある都市。オカ川の大きな支流・クリャージマ川の右岸に建ち、州都ウラジーミルからの距離は東へ120km。 モスクワとニジニ・ノヴゴロドを結ぶ鉄道(1862年開業)が通る。モスクワからの距離は315km。シベリア鉄道へ向かう列車の多くがこの路線を通過する。またモスクワ-ニジニ・ノヴゴロド-カザン-ウファを結ぶ高速道路M7(欧州高速道路22号線の一部)も通っている。人口は40,398人(2002年国勢調査)。 == 歴史 == ヴャズニキは中世の要塞ヤロポルチャ()の跡地にある。クリャージマ川を見下ろす高台にあるこの要塞は12世紀頃の創建で、クリャージマ川の重要な河港であるスタロドゥーブ=ナ=クリャージマとゴロホヴェツの中間に位置し、北東ロシアの中心であるウラジーミル・スーズダリ大公国の首都ウラジーミルを東からの侵略から守る戦略的に重要な要塞であった。1672年には133人の住民がいたヤロポルチャは1703年には火災で放棄され、近くの集落ヴャズニキに併合された。 商人の集落(スロボダ)であるヴャズニキは1608年の文書に初出し、1622年以後、カザンの生神女のイコンへの巡礼者が来るようになった。1778年にはエカチェリーナ2世の地方行政改革で市となりウラジーミル県に属した。ヴャズニキは亜麻の栽培とリネン製品や麻製品の製造、イコン制作、木工、園芸などで栄えるようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴャズニキ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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