翻訳と辞書
Words near each other
・ ヴラド・ブチュコフスキ
・ ヴラド・ペトコビッチ
・ ヴラド・ペルルミュテール
・ ヴラド・ムンテアヌ
・ ヴラド・ヤネフスキ
・ ヴラド公
・ ヴラド悪魔公
・ ヴラド竜公
・ ヴラナ
・ ヴラナ湖
ヴラニェ
・ ヴラニツキー
・ ヴラヒ人
・ ヴラフ
・ ヴラフ人
・ ヴラホヴィツェ
・ ヴラマンク
・ ヴランゲリ
・ ヴランゲル
・ ヴランスコ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヴラニェ : ミニ英和和英辞書
ヴラニェ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ヴラニェ : ウィキペディア日本語版
ヴラニェ

ヴラニェ()はセルビア南部の都市及び基礎自治体で、プチニャ郡の行政的な中心都市である。人口は2011年現在市街地で54,456人、基礎自治体全体で82,782人である。
== 歴史 ==
古代、今日のヴラニェ周辺にはトラキア人の様々な部族が住んでおり、プチニャ郡内には同様にトラキア人の部族であるアグリアネス(パエオニア族)が住んでいた。ローマ人がこの地にやって来たのは紀元前2世紀から1世紀頃とされる。ローマ人が築いた要塞はその後、539年から544年頃のフン族の襲来によって廃れてしまった。これら地域にはカレ、ヴラニスカ・バニャ、グラディシュテなどが含まれる。〔http://www.rastko.rs/arheologija/delo/13047〕ヴラニュの地名は古いセルビアの言葉で黒を意味するヴラン ("vran") に由来するとされ、東ローマ帝国コムネノス王朝初代皇帝であるアレクシオス1世コムネノスの娘で王妃で歴史家でもあるアンナ・コムネナの著書アレクシアドに著されている。ブルガリアの支配を経て1207年セルビア王国ステファン・ネマニッチの統治となる。1455年オスマン帝国の支配下に入りニシュ・サンジャクの一部となった。その後一時期、1688年から1692年にかけてオーストリアによる支配となってヴラニェはフォン・ラーム家が統治するが、1878年までオスマンの支配が続き、セルビア王国の統治となる。第一次世界大戦時の1915年にはヴラニェ近辺はオヴチェポリェの戦いなどセルビアとブルガリアとの戦いの最前線となった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴラニェ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.