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一〇〇式輸送機 : ミニ英和和英辞書
一〇〇式輸送機[ひゃくしきゆそうき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いち]
  1. (num) one 
: [まる]
 (iK) (n) circle (sometimes used for zero)
: [しき]
  1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style 
輸送機 : [ゆそうき]
 (n) transport
: [き, はた]
 (n) loom

一〇〇式輸送機 : ウィキペディア日本語版
一〇〇式輸送機[ひゃくしきゆそうき]

一〇〇式輸送機(ひゃくしきゆそうき)は、大日本帝国陸軍輸送機キ番号(試作名称)はキ57。略称・呼称は一〇〇輸MC輸送機など。連合軍のコードネームはTopsy(トプシー)。開発・製造は三菱重工業
太平洋戦争大東亜戦争)における帝国陸軍の主力輸送機として使用された。
== 概要 ==

1939年(昭和14年)、陸軍は三菱に対して九七式輸送機(キ34)の後続である新型輸送機キ57の開発を指示した。指示の主な内容は九七式重爆撃機一型キ21-I)の胴体部分を改設計し、人員輸送を主目的とするというものだった。1940年(昭和15年、皇紀2600年)に初飛行した本機の諸性能は、母体である九七式重爆の特性をそのまま引き継いでおり、飛行試験でも特に問題はなかったため一〇〇式輸送機として制式採用された。
九七式重爆との胴体以外の相違点は主翼が中翼から低翼となり、爆撃機においては被弾時に火災に弱いことから禁忌となっていた外翼内燃料タンク(インテグラルタンク)を設け、必要に応じて使用できるようになっていたことなどである。後に一型キ57-I)と呼ばれるこの機体はエンジンハ5改(出力850hp)を装備しており、1942年(昭和17年)2月のパレンバン空挺作戦ではロ式貨物輸送機とともに挺進部隊(第1挺進団)落下傘降下に活躍したほか、同年3月には来亜した同盟国軍武官団(ドイツ国防軍イタリア王立軍フィンランド軍ルーマニア軍)の南方戦線視察に使用された。
なお、落下傘部隊用には座席をすべて木製ベンチとする、扉を内開きの大型のものとする、指揮官用のぞき窓の設置、客席両側窓に銃座を設置などの改修が施されている。なお、一型(キ57-I)は一部の機体が海軍に譲渡されて三菱双発輸送機(L4M1)として試用されている。
1942年(昭和17年)には、エンジンをハ102(出力1,080hp)に換装し主翼の強化や貨物室の増設を行った二型キ57-II)が登場し、陸軍の主力輸送機として人員・物資輸送、グライダー曳航などの任務で終戦まで活躍した。二型(キ57-II)において行われた改修はエンジン換装と主翼強化の他は以下のようなものである。
::・中央翼燃料タンクに排出装置を設置(23号機から)
::・客室窓を利用した非常脱出口の設置(2号機から)
::・航法室の移設(23号機から)
::・尾輪を回転式に変更(100号機から)
::・翼前縁とプロペラに防氷装置を設置
::・集合排気管を外側にだけ開口(1号機から)
::・客席の15席への増加(405号機から)。17~19人用の長椅子に変更も可能
::・滑空機の曳航装置の追加(1944年3月試作、同年8月以降標準装備)
本機は、当時の国産ないしライセンス生産の陸海軍輸送機としては機体性能も運用性も最良の機体で、特に登場当初は高速爆撃機であった九七重爆の特性を受け継ぎ、最高速度ではアメリカ軍C-47や海軍の零式輸送機(ライセンス生産)を凌駕するなど、他国軍の双発輸送機と比べても遜色のない優秀なものであった。反面、九七重爆のスリムな機体が原型だったためか、他国の同一規模の輸送機と比べると搭載量や輸送人員が少ないことが欠点であった。
1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)1月まで、三菱において軍用民用合わせて一型101機、二型406機の合計507機が製造された。1945年1月以降、製造は日本国際航空工業に移管されたが、移管後の生産数は不明とされている〔10機製造とする資料あり。〕。これは戦前の国産輸送機・旅客機としては最多であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「一〇〇式輸送機」の詳細全文を読む




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