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一ツ山康(ひとつやま やすし)は、静岡県富士市出身のレーシングドライバー。弟は一ツ山幹雄。レーシングチーム一ツ山レーシングのオーナーであり自らステアリングを握る。 ==来歴== 若い頃から地元の富士スピードウェイを中心にレースに参戦しており、星野一義らとも顔見知りであった。しかし、本業(運送、倉庫業)に専念するためレースの世界から手を引く。 その後、20年近く経った1990年代初めからBMW・M3でグループAに復帰。プロをメインドライバーに迎え入れ兄・弟の幹雄と交代で参戦。何度も表彰台に登る。 1994年からはそれまでのグループAに代わり開催されることとなった全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にBMW・318iを投入。基本的には弟の幹雄と交代で参戦。だが地元・富士スピードウェイで開催されたインターテックには兄弟でプライベーターながら2カー体制で参戦したことなどもあった。1996年途中からはJTCCに加え、全日本GT選手権(JGTC)のGT300クラスにも参戦を開始。こちらにもBMW・3シリーズの2ドアクーペを投入。 JTCCのシリーズ衰退を受け、1998年からはJGTCに専念。加藤寛規を迎え入れ、安定した速さを披露、GT300クラスシリーズ4位を獲得(富士では3位表彰台獲得)した。 翌1999年には加藤寛規に代わり伊藤大輔とコンビを組む。このシーズンはマシンの信頼性に苦しみ低迷した。同年11月に行われた富士ル・マン1000kmには、マクラーレン・F1GTRを投入。飯田章と弟の幹雄と3人で参戦したが、マシントラブルによりリタイヤに終わる。 2000年からはこのマクラーレン・F1GTRでJGTCのGT500クラスに参戦。中谷明彦とコンビを組む。2002-2003年はGT500クラスのマクラーレンはプロドライバーに任せ、GT300クラスにBMW・M3を投入して参戦するも苦戦し、シーズン途中で参戦を取りやめてしまった。 2004-2005年にはGT500クラスに新たにフェラーリ・550マラネロを投入し、監督に。2005年リニューアルオープンした富士スピードウェイを走りたいとの本人の意向で、マクラーレン・F1GTRを復活させ、第2戦のみ田嶋栄一とコンビを組みスポット参戦。プロ以外のドライバーが自らの楽しみとしてGT500クラスに参戦したのはこれが最後とも言える。 2006年には、戦いの場をSUPER GT(旧JGTC)から新生全日本スポーツカー耐久選手権(JLMC)に移し、ザイテック05Sとフェラーリ550マラネロで参戦。森脇基恭と共に監督を務める。2007年にはザイテックとフェラーリに加え、ポルシェ・911(997GT3RSR)も投入し、3台体制で参戦。JLMCでは欠かせないチームである。 だが2007年限りでJLMCが終了してしまったため、一時的にサーキットから一ツ山レーシングは姿を消してしまう事になる。 2009年、FIA-GT選手権で使用していたアストンマーティンDBR9を一ツ山レーシングが購入し、今シーズンのスーパーGTに参戦する事が発表された。ただし、今後の将来的なル・マンシリーズへの参戦の可能性を検討するという意味でのテスト式参戦という事で、出場するのは9戦のみのスポット参戦となる。マシンメンテナンスはノバエンジニアリングが全日本GT選手権、JLMCから継続して担当する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一ツ山康」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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