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一乃矢藤太郎 : ミニ英和和英辞書
一乃矢藤太郎[いちのや とうたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いち]
  1. (num) one 
: [の]
  1. (prt) (1) (uk) indicates possessive 2. (2) verb and adjective nominalizer (nominaliser) 3. (3) indicates question (sentence end)
: [や]
 【名詞】 1. arrow 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

一乃矢藤太郎 : ウィキペディア日本語版
一乃矢藤太郎[いちのや とうたろう]
一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、本名:須藤 良一(すどう りょういち)、1937年6月30日-1977年4月19日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で、かつて春日野部屋に所属した大相撲力士である。最高位は西前頭4枚目(1962年3月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は右四つ、寄り。
== 来歴・人物 ==
明治時代初期から中期にかけて活躍した、大関一ノ矢藤太郎の曾孫。
同郷で、後に十両まで出世した栃ノ森(後、栃ノ関に改名)の実兄が角界入りの橋渡し役となり、地元の公田寺中学校を卒業後に春日野部屋へ入門した。
なお、入門の為に故郷・青森を発つ際には、栃ノ森本人が迎えに来てくれたという。
初土俵は、1953年5月場所。同場所では番付外と新序でいずれも好成績を残した為、翌場所の番付では、序二段の地位に付け出された。当初の四股名は、本名と同じ「須藤」である。
なお、小学校・中学校時代の同級生には、後の横綱栃ノ海(花田)がいた。
1957年3月場所より「須藤」から、曽祖父ゆかりの「一ノ矢」に改名。その後「一乃矢」に再改名し、1958年5月場所で新十両に昇進した。十両と幕下を2度往復する間に、自身より2年遅れて角界入りした花田改め栃ノ海が十両から幕内へと駆け上がり、かつての学友に出世で先を越された。
1961年7月場所にて新入幕を果たし、以後、1962年7月場所まで7場所連続で幕内にあった。
同年3月場所では、横綱・大関陣との対戦圏内に進出したが、2勝13敗と惨敗している。但し2勝の内の1勝は、横綱・若乃花の最後の取組としての不戦勝。そしてもう1勝は、この場所限りで引退した元関脇北の洋から得たものであり、奇しくも2人の名力士の現役最後を見届けた形となっている(因みに北の洋とは千秋楽に戦っており、一乃矢は彼の現役最後の対戦相手ともなった)。
右四つからの寄りを得意とする相撲巧者であったが、小兵・軽量に加え必殺と言える決め技もなかった為、上位陣には通用しなかった。
十両陥落後は、再度「一ノ矢」に四股名を改めたものの幕内復帰は成らず、曽祖父のように力士として大成する事はできなかった。
現役晩年は幕下38枚目まで番付を落とし、1964年7月場所後、27歳で廃業
廃業後は故郷・青森に戻り、弘前市内で「一乃矢食堂」を営んだ。
1977年4月19日、心筋梗塞により39歳の若さで逝去。
なお「一乃矢食堂」は、一乃矢の没後35年以上経った現在(2014年)も、弘前鉄道大鰐線弘前学院大前駅(旧西弘前駅)の至近で営業を続けている。食堂内には、断髪式の時の写真が飾られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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