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一井 正典(いちのい まさつね、1862年6月8日 - 1929年6月5日)は日本の歯科医師。近代西洋歯科医学の先駆者。 == 経歴 == 江戸末期の1862年(文久2年)6月8日、九州・人吉藩(現熊本県人吉市)に人吉藩郡奉行・一井五郎の子として誕生。明治維新の後に14歳で西南戦争に従軍、人吉市で紙問屋を営んでいた江嶋五藤太の支援により上京、文明開化の幾多の波涛を越え、明治18年に牧師・美山寛一の世話で渡米。 現地で、サンフランシスコのドクターバンデンバーグに師事。その縁により歯科医学を専攻、東海岸のフィラデルフィア・デンタルカレッジに進み大学を首席で卒業。 日本人として、初めて米国本土で歯科医院を開業。更に、日本人初の教授並びにアメリカ歯科医師会会員になった人物である。その後大学の推薦を受けて講師としてオレゴン州ポートランド市に赴任。 渡米10年後の明治27年には日本に帰国し、東京神田に開業。後に、高山歯科医学院(現東京歯科大学)の講師、文部省開業試験委員を歴任。東京歯科医師会にも寄与し、後に明治・大正・昭和の3天皇の侍医なども務め従五位に叙せられた。1929年、脳溢血により67歳で死去。 1997年、人吉市歯科医師会によって顕彰碑が建立されている。2001年には熊本県近代文化功労者として熊本県から顕彰された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一井正典」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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