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一六戦争(いちろくせんそう)は、自由民主党内における小沢“一”郎と梶山静“六”との確執の総称。1980年代から90年代にかけての日本の政争に大きく関与した。 また、自由民主党内の派閥・宏池会における宮澤喜一と田中六助との対立も、「一六戦争」と呼ばれる。 == 概要 == === 発端 === 小沢と梶山は衆議院の当選が同期であるが、院生から世襲で当選した小沢に対し、梶山は県議上がりであるため、梶山は小沢を「昭和のひよっこ」(梶山は大正生まれである)と呼んで牽制していた。そんな中、梶山が、ロッキード事件で逮捕されて保釈された田中角栄を拘置所で出迎え、その模様がマスコミで大きく扱われたため、その後の総選挙で梶山は落選。当選回数が小沢より1回少なくなった。 それでも小沢と梶山は共に田中に反旗を翻す形で竹下登を総裁候補に担いだ「創政会」旗揚げの立役者となるなど、深い盟友関係にあった。 しかし、1989年の海部内閣発足時、竹下は小沢の幹事長就任に「まだ若い」と難色を示し〔金丸-小沢ラインで政局主導 「政界のドン」金丸信(6) 日本経済新聞2011年9月4日閲覧〕 、年功序列を重視する立場から梶山を幹事長に推したが、竹下派会長の金丸信の強い意向で小沢が幹事長に就任。梶山にしてみれば、幹事長ポストを16歳も若い小沢に奪われた形となった。この一件で、以前からぎくしゃくしていた竹下と小沢の確執は決定的になり〔後藤謙次 「竹下登」にはあって「野田佳彦」にないもの 週刊新潮2012年6月21日号〕、小沢と梶山も対立するようになった。竹下派内は金丸・小沢グループと竹下・梶山グループに分裂していくことになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一六戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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