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一所懸命の土地 (いっしょけんめいのとち)は、中世日本において各々の在地領主が本貫とした土地であり、命をかけて最後まで守り抜く覚悟を持った土地をいう。その土地の地名を名字として名乗ることが多い。 == 概要 == 古代末期ごろ、在地の富豪層の中から自分で土地を開墾し、その土地に何らかの権利を有する開発領主と呼ばれる階層が出現した。開発領主のうち、国司などとして下向してきた軍事貴族と関係を結び、武装して初期の武士となる者も現れた。こうした武士は特に関東に多く、先祖から受け継いだ土地を自身の命より大切に考え、子孫に伝えようとする傾向が強く見られた。 例えば、「十訓抄」(十巻)や「古事談」(四巻)に紹介された、佐藤季春事件(1140)はその代表例の一つでもある。それによれば奥州藤原氏二代基衡は、南奥州の防御の要として、現在の福島市飯坂に佐藤季春(源義経忠臣、佐藤継信・佐藤忠信先祖)という人物を置いていて、奥州藤原氏累代の重臣であり、藤原基衡とは乳兄弟で幼なじみでもあったのだが、当時の陸奥守で鎮守府将軍の藤原師綱(赴任1139年-1143年頃)が、奥州藤原氏の資金の源である荘園の上がりを徹底調査しようとして、信夫庄(現在の福島市)に検察使送って調べようとした。ところが季春は、基衡の命を受けて、先祖から受け継いだ土地を守るためその検察使を追い返してしまう。怒った師綱は権力にモノを言わせて、奥州藤原氏に迫る。結局、佐藤季春は、奥州政権を守るためにひとり自分が罪を背負って師綱に恭順の態度を示した。基衡は、砂金一万両さらに様々な宝物を師綱に用意して、佐藤季春を救おうとしたが、一族5人は斬首となってしまったということである。一つの所に命を懸けたので、その思いは偲ぶ(信夫)がごとく、京都の方まで話が伝わった。 やがて中世後期になると、武士たちは戦国大名など領主層の家臣団として組み込まれていき、領地替え・国替えが行われることも、珍しくなくなった。しかし、先祖代々継承してきた土地に強い執着があった武士の一部は、主君の領地替えに隋従せずに武士身分を捨て浪人となり、その土地に農民として土着して残る者も出た。 特に有力な土着の浪人たちに対しては、近世領主たちは、苗字や帯刀を許可するなど武士に近い一定の特権を認めて、庄屋・名主などの村方三役に任じることが多かった。こうして、一所懸命の土地に対する権利を継承していったのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「一所懸命の土地」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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